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La Primavera 活動主旨 (1996年11月 ) |
| 1)転機を迎えつつある現代 |
20世紀も残り少なくなった1996年の今、日本ひいては世界は、今のままで果たして幸せな将来を迎えることができるのでしょうか? 人々の心には、”政治的、経済的にも文化的にも、何かこのままではいけない”と、漠然とした不安感がある一方、それでは何をすれば良いのか判らないという状況にあるのではないでしょうか? これは、ちょうど辻邦生の小説「春の戴冠」で描かれている15世紀末のイタリア フィレンツェの姿に似ています。
| 2)新しいビジネス観、文化観を創るべき時 |
これまで我々日本人は、例えば以下のような固定的な生活スタイルに陥ってはいないでしょうか。
このような状況にあるとしたら、これは戦後50年間の過程で作り出されてきた日本社会のパラダイムの反映と言えるでしょう。しかし時代に従った世界の変化を見ていると、この日本のパラダイムがいつまでも正しいまま続くとは思われません。逆に今こそ、これからの時代に合った、あるいは先取りしたビジネス観、文化観を創るべき時だと言えると思います。
- 毎日会社へ決まった時間に出社して決まった日に給料をもらって生活し、定年を迎える。
- 大きな会社、有名な会社が良いと信じて、そのために一生懸命勉強し良い大学を目指して勉強を続ける。
- 会社や世間で嫌なことや、自分の信念とは異なることがあっても、安定した暮らしを望むため、自分の意見を控えてしまう。
- 情報は、ほとんどがマスコミから仕入れるほかなく、また逆に大新聞やテレビ局のブランドを信じきってしまい、自ら情報を調べたり、発信することが疎かになっている。
- 自己の意見を述べる時は、どうしても他者や社会への批判的なものになりがちで、自ら、新しい考えや建設的な意見を展開することができない。
- 文化的なものは、テレビ局やレコード会社、出版社の提供するものを受け入れているのが大半で、自ら文化を創りだしたり、文化面における主張をしたりすることができない。
| 3)マネー至上主義からの脱却 |
今の世の中を見ていると、資本主義も極まると、すべて金金金という風潮に陥っていないでしょうか?
「人はパンのみにて生きるものにあらず」という格言がありますが、「人は金のみにて生きるものにはあらず」と言い換えることもできると思います。人と人の暖かいつながりを築き上げたり、人の生きる本当の目的は何かと思索するなどの人間らしい社会とは、お金のみで動く社会とは違うと思います。あのビートルズもタックスマンという唄の中で、「......歩けばその足に、エアコンを効かせれば熱に、税をかける......」と徴税職員のことを皮肉っていますが、現代はこのタックスマンがさしずめビジネスマンと置き換えられます。
- 何をするにもまずお金が必要。毎日、食事をするにも、住む場所を確保するにも、お金がないといけない。
- 仕事は全てお金と絡んでいて、人が何人か要る仕事があれば、1時間当り○○円の人件費がかかる、だからなるべく人手のかからない方法での仕事の進め方を考える。ということはビジネスでは当たり前になっている。
- いい仕事であっても、たとえそれが世の中のためになることであっても、お金にならないことは、ビジネスとしては成立しない。そして、そのビジネスのために、大人の人間は日々の大半の時間を当てている。
- 会社は、必ず利益を上げないといけないという責務を負っているという考えで、日々の業務を進めているが、それだけの尺度で全ての活動が律されていてよいものだろうか?
- 借入金を利子をつけて返済できるだけ会社が新しい富を世の中で産み出していくことは可能なのだろうか? たとえば、生命保険会社が集めた何十兆円や郵便貯金の200兆円以上の資金を、年率数パーセントという利子をつけて運用していくことが可能なのうだろうか? これは一つの鼠講で、組織が大きくなると急にその問題性が露呈する類のものではないのだろうか?
| 4)ビジネスベースでない文化活動も必要 |
今の文化の主流は、ビジネスベースで進められていると言えます。
金銭的な時間的な制約にとらわれない本当の文化的な活動を、今こそ進めるべきではないでしょうか?
- 小説や詩などは、ビジネスベースの大手出版社から出版されたものしか、普通我々は目にすることができない。また、有名でない著作は書店でも置いていないことが多い。
- 音楽は、CDやラジオでしか普通聞くことができない。また採算の合わない(ヒットしない)ような作品は、たとえそれが聞く価値のあるものであっても、聞くことができない。
- テレビの番組も、視聴率やスポンサーの思惑での枠組みに縛られていて、必ずしも良い内容とは言えない。
| 5)日本の伝統文化への憧憬 |
能狂言、歌舞伎、長唄、俳句、伝統工芸、等々 日本の伝統文化は海外の人々にも愛されていますが、翻って日本人として、どれほどこれらの良さを知っているか、はなはだ疑問です。
これらに造詣ある人でも、後世にまでそれを伝えていく活動や環境の整備に力を発揮できる状況でしょうか。
そういっている間にも、伝統文化は失われつつあります。
| 6)英語だけでは不十分な国際理解 |
国際化に対応し海外の人々と交流するために、英語学習熱が盛んなことは大いに結構なことと思います。しかし、各国各民族にはそれぞれ固有の言葉があります。日本語の微妙なニュアンスが英語で表現できないのと同様に、他国の文化を本当に知るためには、その国の人の言葉で語り合い、その国の言葉で文献を読む必要があるのではないでしょうか?
国際的に仲良くやっていくためには、余力があれば、英語以外の他の言語も、是非、知っていくべきと考えます。
数か国語を勉強した自分の経験から言っても、いろんな言葉を知るにつけ、世界の横のつながりを言語同士の関係から窺い知ることができます。例えば、同じ意味で似た言葉を使っているのを知ると、どうしてそのような言葉のつながりができたのか興味が湧いてきます。きっと何か歴史的、地勢的、経済的な交流があったのでしょう。
また、同じ内容のことを表現する上での得意不得意が言語毎にあるのも窺いしれます。たとえば、日本語は、ふわふわなどの擬態語により、より細やかな表現ができる半面、論理的に明快な表現をするのが不得意な面を持っています。
言葉は思考にも影響を与えています。概してヨーロッパ系の言葉は、日本語に比べ、話す段階で現在か過去か単数か複数かなど、かなり明確に頭の中で整理されています。日本語は話しながら、その内容が周囲の状況によっていつのまにか遷移していくような、ある意味で論理があいまいな言葉という印象がします。日本語を、そのまま訳したのでは、相手に理解してもらえない場合もあります。また、英語で訳しても、相手がアメリカ、イギリスでない場合は、真意がまちがって理解される可能性もあります。
| 7)もっと他の国の人々と知り合いたい |
我々は、テレビや新聞の情報や海外の製品を使う中でいつのまにか、外国のこともある程度知っているような気がしていないでしょうか? マクドナルドのハンバーガーは全世界どの店へ行っても似たような味のような気がしますし、ロシアの大統領選挙やウィンブルドンのテニスの結果は、テレビのある国であれば、共有しあっているはずです。
しかし、例えば、ドイツの普通の家庭はどのような食事を日々取っているのか、あるいはロシア大統領選挙の結果についてイタリアのサラリーマンはどう感じているのか、といったレベルになると、これはもう、新聞やテレビの報道では、必ずしもカバーできないような範囲になってきます。でも、このようなことをお互いに知り合うことが、国際的な友好関係を築く礎になってくると思うのです。
| 8)個人商店、中小企業に力を |
資本の論理からすると、大企業や資金の豊富なほうが、ビジネスを進める上でいろんなことができ、また不況などに耐える能力も高いのがこれまでの常識でした。その結果、ビジネス上の競争をした場合、弱肉強食で個人商店や中小企業は、大企業に勝てないのが普通でした。
しかし、個人商店や中小企業は、それぞれユニークな特色を持っていたり、人間味溢れる活動をしていたり、非常に大切な技術や理念を持っていたりすることも少なくありません。このようなスモールビジネスが潰れず、活気ある形で活動できるようになっていくことは、これからの日本にとって必要なことではないでしょうか。米国の場合も、こういった小さい形から、新しい未来を背負うビジネスも育っていっています。過去の実績だけを見ていたのでは、縮小再生産の世界のじり貧で日本の未来も終わります。
| 9)ビジネス、文化活動の支援 |
La Primaveraは、1)〜8)に述べた内容の考えを踏まえ、以下の活動を行います。
- 個人商店、中小企業のビジネスを支える活動を行う。これは主に情報分野の面から行う。
- 国際的な友好関係を築く一助として、相互の生活情報や歴史文化情報の交換活動を行う。この一環としての貿易活動も行う。
- 日本の文化の理解を日本国民と他国民に対し、促進する。
| 10)インターネットを通じての活動 |
9)で述べている活動を、ラ・プリマベーラでは、主に情報分野を通じて行います。とりわけ1990年代に勃興したインターネットを個人にとっての有用なツールとして活用していきます。
1996年11月 ラ・プリマベーラ代表 村林 成