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アジア市場へ向けた映画創り |
黒澤、小津の時代に比べると、日本映画の人気やビジネス規模は、かなりしぼんでしまったような印象がする。「もののけ姫」のヒットや「HANABI」の受賞などの話題はあるものの、「タイタニック」やディズニーアニメなどで代表されるハリウッド映画に観客の多くが奪われてしまっていることは否めない。
しかし、日本の映画製作者の力がなくなってきたとは、必ずしも私は思わない。
むしろ、
というビジネス上の問題ではないのかと思う。
- 日本映画のビジネスをどうしていけば良いかの方向付けや成功モデルを描くことができなくなっていった。
- その結果、充分な投資も行われなくなっていった。
- 日本の観客は、それを肌身で感じて、足を遠ざけていった。
私は、昔の邦画黄金時代と同じように、日本の人々が沢山、娯楽のために邦画を観に来ることを期待する映画作り、そういう姿はビジネス的には恐らく成り立たなくなっていると思う。邦画黄金時代には、テレビは普及はしていなかったし、他の娯楽も、今ほど多様な形では存在しなかった。デパートへの買い物と映画が、人々の楽しみだった時代と、1990年代末の今とは社会の在り方も大きく違う。
では、もう、邦画復活の可能性はないのであろうか?
私は、そうは思わない。
もっと、大きな視点で映画を作るのである。今の日本の繁栄を築いた企業は、世界市場をにらんだ戦略で発展してきた。ソニーでも松下でも、トヨタでも、新日鐵でも、日本市場だけに通用して、日本市場だけに期待して、それで良しとは、してこなかった。
同様に、日本の映画も、世界を市場とした大戦略でビジネスをしてみては如何であろうか。そして、私は、この大戦略を、アジアの観衆というものを、前提に進めては、どうかということを提言したい。
日本人の俳優が、日本人の監督の下、日本社会だけを表現して、日本人の観客だけが観る。そういった枠を超え、アジアの物語を、アジア人の俳優や監督を起用して、日本人スタッフが共に作り上げ、アジアの何億という人々に観てもらう。
あるいは、例えば400年ほど前にタイへ渡って活躍した山田長政のような人物の話を、アジアの人々にも理解しやすいストーリーや現代的な国際的視点からの物語として映画にし、アジアの人々に、日本にもこういう歴史上の人物がいたのかと知ってもらう。
そんな映画創りがあるのではないかと思う。
- アジアのテレビ普及率は、日欧米に比べると、まだ数分の一以下のところが多く、人々の娯楽の欲求に比して、映像文化の発展の余地は大きい。
- アジアで経済的に勃興してきている国々の娯楽需要は、これから大きく伸びていくが、その一方で、それらの国々の文化産業は、それを満たすだけの力で育ってはいない。
- アジアの各民族には、民話や歴史などで、素晴らしい素材がいろいろあり、これらは、映画化の可能性を秘めている。
- 日本国内だけの需要では、ビジネスとして成り立たないことも、アジアという枠組みで考えると、大きなビジネスになりえる。例えば、中国やインドが市場となると、その人口の多さ、起用できる現地スタッフの人件費の安さなどは、日本市場だけ見ていた邦画製作とはビジネスの在り方の根本も変えるはず。
- 日本は、モノ中心の援助で、これまで来たが、映画製作や、CG製作、歴史考証、映画の国際配給等の点で、アジア各国に文化面から大きな支援ができる。
- 文化/精神面で、外国から理解されにくかった日本という国が、映画の製作上演を機に親しみを抱かれることが期待できる。これは、既に「おしん」「山口百恵」「ドラエモン」などがアジアで広く人気を得ていることから例証される。
以上のように、アジアの国々と連携した映画創りに、色々な思いが浮かんでくる。
日本の映画製作者の方々の視点の転換と、そこに出資する人達の大胆な発想転換は、きっと、ハリウッドを凌ぐような映画ビジネスの進展を日本にもたらす予感がする。なぜなら、歴史のバックグラウンドや、他国の人々の人情にも思い遣ることのできる日本人の基本的特性には、きっと、現在のハリウッドを支える米国映画人以上のものがあるはずなので。
日本車や日本製半導体での成功のように、日本のスタッフがアジアの人々と協力して作る秀作は、きっと世界の人々に幸せをもたらすことと、私は思う。
1998 年 5 月 5 日 ラ・プリマベーラ代表 村林 成