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 この日は、フィレンツェ市の郊外を馬車で見て回ったが、近郊は、まさに春の様子もたけなわで、日差しも煌々として、春用の衣服も重く感じた。午後の陽気は人を悩ませ、路傍にうつぶせに伏し、あるいは車にて眠り、馬に任せて行く農夫を見た。野の道は修理されず、垣や壁も往々にして壊れており、土ぼこりも車を追ってくる有様である。道路脇には多く桑の木を植え、街路樹としているのを見た。まさに養蚕三眠(意味不詳)の季節で、養蚕家の人がいた。桑の木をしなわせて葉を取り、かごを編むのに用いているのを見た。イタリーでも、桑の葉はすべて畝の若木から刈り取って用いているわけではない。また、巨木に育て、その葉を取ることがあるのも、わが国と異なることがないのを知るべきである。

 イタリーの養蚕の概要を聞いたところ、一般的に、養蚕の部屋は、清浄をたっとび、太陽の光と、空気を清めることに、心をくだく必要がある。であるので、養蚕の部屋は、「コロール・カルキ」水で、白鉛漆粉を調合し、室内の壁、及び諸器具を塗り、また、「コロール・カルキ」に「ビトリオル」を混ぜて沸騰させ、すみやかに戸を開け、一昼夜放置しておけば、室内の悪臭悪気は、みな去って清浄となる。これが部屋を清める方法である。思うに、「コロール」は、滅臭滅色の性質が強く、ヨーロッパにおいては、漂白剤、臭気止め、及び空気清浄の薬とされ、近年には、ますます多量に製造されるため、価格も安くなっている。とはいうものに、イタリーの郡村では、家々に蚕を養うに際し、みな必ずしもこの清浄法を行うわけではない。民家などにては、一、二の棚を天井よりつり下げ、その上で養蚕を行っており、一家男女、みな、この同じ部屋を寝室としてまでも、注意を厚くし、室内を清浄にしている。飼い方の良いものは、良好の絹糸を得て、利潤が多いが、大富農の慣習で、ただその白塗薬水法だけを備え、巨大で清潔な蚕室を設けてはいるが、主人自らは養育に心を配って手を下すことなく、雇い人を指揮する(だけの)悪いものは、その蚕は悪く利潤はないと言われている。そもそも利潤とは、勤労の対価であり、名誉は精勉の結果である。いたずらに技法を講じて、実際にはなまけている富有な家が、いたずらに財力資本を恃んでいれば、理屈が勝って、結局現実にはそぐわなくなってしまうこと、いずれの国でも同じことを思い知らされた。

 さて、春に、蚕の卵から孵化する際、清浄な紙に無数の小さい穴を開けた面に、桑の葉を細かく刻んで撒き、これを卵(の置いてある)紙の上に置けば、生命力たくましい蚕は、その葉を食べようとして、自ら穴を抜け出て紙の上に上がる。こうして、この虫は、紙のままで別の箱にて飼う。(先の蚕の)中で紙の上に出てこれない蚕があれば、生命力が弱いものであり、これは、別の箱で養う。その後、初眠から四眠に至るまで、飼育の方法は、ほぼわが国と同じである。室内の温度は、摂氏16 度半から 15 度までの温かさを失わないようにしている。そのため、室内には、必ずストーブの設備がある。これに焚く燃料は、多くは桑の小枝を焼く。思うに、経済的理由で、そのようになっている。雨天には、その火気で、蒸し暑い空気を消散させ、清浄な空気を取り入れている。ストーブの全面には、「フランケット(毛布?)」の衝立を置いて、火気の直射を避け、窓には必ず白布を垂らして、日光の直射を防いでいる。雨天には、紙の戸を閉め、暖気(が漏れるの)を防ぎ、晴天には、すだれを垂れて、光線を遮蔽している。糞を取り除く時は、蚕の体を、指あるいは箸で、つまみとることはない。必ず、小さい穴を開けた紙、もしくは糸の網でもって、蚕の箱を覆い、その上に桑の葉を散布すれば、蚕は自らその葉の上に上がってくる。これを待って、糸網を引き上げ、他の箱に移す。残った無気力な蚕は、また別の箱にて蓄える。凸(面)鏡を用いて、時々、蚕の体を照らして、病気があるか無いかを診察する。四眠の後に、宿蚕の方法は、種々ある。麦藁や草の茎を束ね、あるいは、群がった枝の上に乗せ、あるいは、細かく角材を組み合わせるなどがある。鉋屑を集めて宿らせる、桑の枝の上に直に細い枝をつらねて宿らせる、蚕の性質によっては縦の枝に登り宿らせる、あるいは、横積みした枝に下りて宿らせる。いずれも宿蚕のときは、摂氏 17, 8 度を必要とする。

 夜8時半よりホテルを出発してローマに向かう。この夜は快晴で、月の色も清明で、景色もなかなか爽やかで、沿道の緑陰は、暑気を遮蔽してくれた。駅駅では酒、果実をとって、車中の客にすすめ買わせていた。イタリーには良い酒が多く、果物にも富んでいる。特に、トスカーナ国は、オリーブの名所である。オリーブは、その葉は小さく丸く厚いところは、ひいらぎの木に似ている。その実は梅に似て小さい。果肉は薄く、実は大きい。その味は淡泊で、滋養液を含んでいる。しぼって油がとれる。この油は調味にもよく、薬用にもよく、最良の石鹸を製造するには、この油を用いる。そのため、需要は多く、そのご利益も広いものである。この樹は、寒さに耐えられず、摂氏 6 度以下の寒さにしぼんでしまい、また、熱い土地にも適しておらず、エジプト以南には繁殖しない。風土がふさわしければ、やせた土地や石の多い荒れた土地にても生育する。最初、地中海の島内より発し、ギリシアの時に、その地で栽培されたもので、スペイン、ポルトガル、トルコ、ギリシアの地で植えられた。フランスの南部、オーストリアの南までは、なお、これの栽培に努めている。イタリーのオリーブは、国産品の中でも、大きいもので、この地より南方では、みな栽培していないところはない。そして、フィレンツェ近郊の産のものは、長らく世に賞賛され、イタリー一国の一大産品となっている。

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(1997.01.28 初版、1998.05.06 改訂)


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