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私は、学生時代、京都市内に下宿していた。その後、あちこちを転勤しながらも、今は隣町の大津に落ち着いて11年が経っている。これまで祇園祭を、見る機会は時々あったが、今回ほど本格的に見物し、いろいろ調べたことはなかった。結果として、大きな歴史の流れと伝統を実感したことは確かである。しかし、そのような教科書的な成果よりも、本文で述べたように、「劇あるいはコンサートのように、出演者からのメッセージを私自身感じ」ることができたのが、うれしかった。
1996年夏は、ちょうど病原性大腸菌O−157が全国に蔓延していたころで、夏越祭の最後の言葉でも、祇園祭本来の意義の厄病退散が、O−157に関連づけて、語られていた。O−157以外にも抗生物質も効かない耐性菌の存在が重大視される現在の状況を見るにつけ、祖先の疫病調伏の願いを、心に聞く思いであった。そして、日本で疫病になやんでいた昔、ペストの大流行が、ルネッサンスが始まろうとしていたヨーロッパに多くの死者をもたらした歴史的事実も、現代文明に驕っている私たちへの警句として、改めて感じる昨今である。祇園祭の歴史的意義がまた再生したかのようである。
なお、余談になるが、414年前、織田信長が倒された本能寺の変は、当時、盛んになり華麗さを示していた祇園祭の祭事期間中のことである。歴史小説や歴史評論で、この事実に触れたものを寡聞にして私は知らない。信長、信忠父子があえなく死んだのも、光秀がこの謀反を計画挙行し、また三日天下で秀吉との戦に敗死したのにも、この事実が、何らかの関係を持っていると、私は強く思う。京の町衆の心の持ち方、政変に際しての権力者への反発あるいは協力に、祇園祭の祭事は、きっと影響していたはずである。
( ラ・プリマベーラ: 村林 成 )
◆「祇園祭」 植木行宣・中田昭 共著
◆「祇園祭」 芳井敬郎 編著
◆「祇園祭---町衆としきたり」 祇園祭山鉾連合会 編集
◆「祇園祭 '96 Gionmatsuri」 (株)電通京都支社 編集
◆「Kpress増刊号 祇園祭」 京阪電鉄 編集
◆「平成8年度 祇園祭山鉾参観案内書」 産経タイムス社 編集
◆「八坂神社由緒略記」 八坂神社社務所 編集
(1997.11.22 初版、1998.02.27 改訂)