
又、誰か好きになりそう春の風
四年前の三月にとある路地を職場にむかって歩いていたとき、ふわと春風が頬をなでて通りすぎた。その時、口をついてつぶやくようにできてしまった句。不謹慎なものであり自慢できる佳句でもない(と思う)。でもその時、実はひどく心が沈み屈託していたのである。長女が入院していたのだ。難病との診断で。突然の発病で、治療の、めどさえ立たず、大病院のモルモットとされかねなかった。一月半ばに入院して点滴のみの日々、三週間もしたら食べられるだろう、との軽い予測(いつもこの調子で楽天的なのだが)は大きく覆されて大病院へ転院となった。
転院のかの日も雪の激しかり
以来二か月ほど、毎日*風花(かざばな)の舞う日も足の踏み処もないほどのみぞれの路も歩いて病院へ通った。まあ一キロ程ではあったが。タクシーもバスも自転車もやめ、この身に子の闘病の苦しみの幾分かなりともたたきこもうとしたのである。その天候次第で暗くも明るくも翻弄される心に気付かされる日々だった。この日、少し明るい三月の日差しに退院のめどが立ちそうな予感の中でひょいとバーゲンセールに立寄って水着やブラウスを買い、(一日も休まなかった)職場に戻ろうとしていたそのときの句である。我ながらナンテ母だ、教師だ、と思わぬわけにゆかないが、心のほうが先に行ってしまうのだった。
*風花: 寒いよく晴れた日に雪を散らす風
(1997.06.28 初版、1998.04.28 改訂)