第4部
Osanna, Benedictus,
Agnus Dei, Dona nobis pacem
4-4. Dona nobis pacem
【編成】 4部合唱、
トランペット3、ティンパニー、フルートトラヴェルソ2、オーボエ2、弦楽、通奏低音
【調性、拍子】 アラ・ブレーヴェ、ニ長調、4/2
【作曲経緯】 パロディ。第7曲〈Gratias〉の音楽の再現であるから、これも1731年初演の市参事会員交代式のためのカンタータ《Wir danken dir, Gott [神よ、われら汝に感謝す]》BWV29を原型としていることになる。
【評価等】 平和への願いを歌う最終曲は、第1部「ミサ」の第7曲〈Gratias〉をほとんどそのまま用いたものである。このことからも最晩年のバッハが《ミサ曲ロ短調》を一個の完結した作品として構想していたことが立証される。合唱とオーケストラは次第に盛り上がり、トランペットの輝かしい響きとともに感動に満ちて全ミサ曲を締めくくっている。
最後にシュヴァイツァーは、
「〈Dona nobis pacem〉は祈願そのものというよりは、むしろ確信を持って望まれる平和に向かっての讃美という方が適当である。バッハがこの式文を〈Gratias agimu〉の音楽で歌わせたことには深い意味がある。物柔らかな演奏はこの楽曲の性格にとって、正当でない。」
と述べている。
【筆者注】 この〈Dona nobis pacm〉に〈Gratias〉の音楽が、ほとんどそのまま用いられていることが学者の間で物議を醸す種になっている。以下に小林義武氏の著作に基づいて紹介する。
まず、第7弾でも書いたが、スメントという学者は、そもそも《ロ短調ミサ曲》という統一された作品は存在せず、4つの作品の寄せ集めを後世の人間が勝手にそう呼んでいるといているのだが、その根拠の一つがここにある。彼は、他のパロディーでは種々の改作が加えられて新しい曲となっているのに対し、このパロディーは「ほとんどそのまま」であり、安易に流用しているとして全曲の統一性に疑問を投げかけている。
一方、別の学者は、バッハがミサ曲を「循環的」に作曲しようとしたのだという学者もいるが、それなら〈Kyrie〉の音楽を転用した方がすじが通る。モーツァルトのレクイエムでも取り入れらている方法であるが、これは当時の方法としては他にも例があるものだそうである。小林氏も最初の〈Kyrie〉のフーガのテーマに‘Dona nobis pacem’の歌詞をつけているが違和感は無い。
先のスメントも〈Agnus Dei〉と〈Dona nobis pacem〉が密接な関係にあるのは当然としても、〈Kyrie〉とも近親な関係にあることを指摘している。歌詞の内容に即応するなら〈Gloria〉の音楽よりも〈Kyrie〉の音楽を繰り返す方が一層効果があったのではないかと思われる。
バッハがそうしなかった理由として、ある学者は調性の関係で説明しようとしているが、小林氏は後半の〈Kyrie〉は調性が合わないにしても最初の〈Kyrie〉なら不可能ではないとし、むしろ積極的な理由を見出そうとしている。
既にアルノルト・シェーリングという学者が主張している「最終楽章は、平安が与えられることを祈る人間ではなく、すでに平安を与えられて神に感謝する人間の、美しく力強い表現」というのを受けて、小林氏は、「我々はこれと同じ音楽を、既にミサ曲の前半で‘Gratias agimus tibi’という歌詞で聞いており、最後に同じ音楽が異なった歌詞で奏されるとき、前半で歌われた神への感謝の詞を、必然的に思い出すのである。」と述べている。さらに加えて、「この時点では「平安」まだ与えられておらず、この楽章において祈願されるべきもので、ここで感謝しているのは、死の予感と戦いながら大作に挑んでいるバッハの、作品完成に対する感謝、もっと広げてバッハの生涯のすべての創作に対する感謝である。」と書いている。