金子 浩三(ピアノ)



 大阪音楽大学卒業。第 6 回飯塚新人音楽コンクールピアノ部門第 2 位入賞。NHK洋楽オーディション合格。第 19 回マスタープレイヤーズ国際音楽コンクールに入賞、名誉賞を受賞。東京・大阪他全国各地でのリサイタルをはじめ、内外のオーケストラとの共演。2台のピアノによるベートーヴェン交響曲第九番(日本初演)、リスト作曲ピアノと弦楽オーケストラの為の協奏曲「マレディクション」(日本初演)、室内楽、各種リサイタルの伴奏等を度々行い、現代作品の初演及び再演、NHK-FM などのラジオ放送、各機関からの依頼による音楽おもしろ講座など多方面にわたる音楽活動を展開している。これまでの業績に対し、平成 10 年度兵庫県「坂井時忠音楽賞」を受賞。ピアノを武田邦夫、H=エッゲン・マイヤー、米山信、田島佐智子の各氏に師事。現在、神戸山手女子高校音楽科非常勤講師。



 人懐っこい笑顔からは想像できないほど、金子浩三さんの音楽人生は波瀾万丈で、平坦な道のりではありませんでした。中学生で母と死別、高校生で父の経営する会社の倒産、父の再婚。一途に音楽を志す少年には、金銭的にも精神的にも過酷な経験でした。

 そんな金子さんにとって、幼年期は心から音楽を楽しめた一番幸せな時代でした。
「家にあった電気オルガンを飽きることなく弾いていました。即興曲なんてことばを知りませんでしたから、想像曲とか空想曲と自分で名前をつけて作曲し、簡単な和音の伴奏をつけて演奏して、いつまでも遊んでいました」
 金子さんが親にねだってピアノを買ってもらい本格的に指導を受けるようになったのは小学校の6年生でした。遅いスタートでしたが、急速に腕を上げました。音楽が好きでたまらない金子少年はこの頃すでに将来は音楽家になりたいという夢を持っていました。しかし冒頭のような試練が彼を襲います。
「奨学金とアルバイトで高校を卒業しました。一浪して資金を貯め、大阪音楽大学の夜間部に入学しました。卒業後は、また1年間ウェイターや夜の酒席でのピアノ演奏などで働いて昼間の3年生に編入学しました。いろいろあったけれど、自分が行く道は音楽だと信じていましたね」
 そんな大変な経験をして入学した大学でしたが、人間関係で悩み抜き、ついに4年生で休学という事態になってしまします。
「それを救ってくれたのが、たまたま見かけた看板につられて始めた少林寺拳法。精神が生き返った思いがしました」
 ピアニストとは場違いな方法で立ち直った金子さんは復学、無事卒業します。
 その後様々なコンクールやオーデションを経験した金子さんに再び転機が訪れたのは阪神・淡路大震災のあった平成 7 年でした。チャリティコンサートなどに参加しながらも、何か自分らしい活動を模索し始めたのです。
「その頃父が病死したこともあって、震災で亡くなった方々の魂を慰め、また今を生きる人々への応援のエールを贈りたいと『全国巡礼コンサート鎮魂』を平成 8 年にスタートさせました」
 この無料コンサートはすでに8都市での公演を終え、今年も神奈川、千葉で開催が予定されています。
 昨年 11 月、金子さんは地元尼崎で大変意欲的なリサイタルを開きました。「軌跡の協奏曲〜そして 季節は また めぐり…〜」と題されたこの演奏会の曲目は、ベートーヴェンの「皇帝」とラフマニノフの第 2 番。どちらも数々の困難に打ち勝った作曲家の作品です。幾多の試練を乗り越え、今も体当たりで戦い続ける金子さんの入魂の演奏に会場は大きな感動の拍手に包まれました。
 9 月 9 日には県会館で金子さんのリサイタルが開催されます。ぜひご来場ください。

(兵庫県芸術文化協会友の会ニュース「すずかけ」平成 11 年 7 月号より)






金子 利香(賛助出演:ソプラノ)



 大阪音楽大学声楽科卒業。樫本智子・中井美恵子・阪上和夫の各氏に師事。卒業後、兵庫新人フェスティバル、オーケストラとの協演、室内楽、ジョイントリサイタル、オペラ、宗教曲、奥尻島救済チャリティーリサイタル他多数出演。持ち前のドラマティックソプラノを生かした歌唱力には常に高い評価を得ている。また歌曲における詩的表現の深さなど、その豊かな感性には幅広いファン層をもっている。最近では、童謡や日本人作品による新曲初演にも力を入れており、着実な演奏活動を展開している。1992 年イタリアに渡り、ミラノにおいてジーナ・チーニャに指導を受ける。1993 年第 12 回アゼリア新人オーディションに合格、同推薦演奏会に出演。女声コーラス「コール・バウム」指導者。グループ「アンダンテ」を主宰。


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