「ライフスタイル不況」

(日刊京都経済紙1999年10月5日号コラム記事座標軸より)

 

 景気が底割れの危機を迎えている。統計では8月の失業率が底を打つなど状況改善の兆しが見えているが、一方で「任天堂が500億円の為替差損」など円高の影響が明確に出始めている。85年のプラザ合意以来「内需拡大」をスローガンに経済運営をしてきた日本であるはずなのに、結局はまったく変わっていない。

 今の不況は「ライフスタイル不況」だ。

 10年不況の入り口は金融不況だった。ついで設備投資と個人消費が冷え込み、金融ビッグバンのあおりを受けた銀行の貸し渋りが追い打ちをかけた。リストラの恐怖が消費を冷え込ませていると解説されている。

 確かに消費者はそれぞれに財布の紐を締めている。爆発的に消費しているのは若い女性層だけで、それ以外の層は倹約に回っている。

 しかし、必要なものを買わずに我慢している層はそれほどいないのではないか。むしろ買いたいという欲求を生み出すような商品が少ないから買わないだけなのではないか。

 この10年の間に世界では米国が復活し、欧州が経済統合し、アジアは経済危機を克服しつつある。情報化が劇的に進んだ。地球環境問題が世界の共通認識になった。ベンチャービジネスが世界経済のけん引役に浮上した。一方で地域紛争は頻発し、世界の貧富の差は一層広がったようだ。

 日本では「リストラされる」が動詞として定着し、世界でもまれな金融ビッグバンが進行し、宇多田ヒカルのCDが1000万枚のメガヒットになった。緊張の時代が始まろうとしている一方で、盲目的なブーム追随の傾向は一層強まっている。

 大きな時代のうねりが押し寄せているにも関わらず、日本人の根底の部分で変わっていないことがある。それは消費者として「何を買うべきか」が見えない人が太宗を占めるという点だ。

 日本は生産大国として成長したが、自分たちで作ったものを使う知恵や力を持ち合わせないままでいる。例えば自動車。日本で生産される自動車を全て並べると日本の道路は全て埋まってしまうといわれる。世界の状況は大きく変わったのに、世界の自動車の6分の1、鉄の4分の1を集中的に生産する生産マシンとしての日本は基本的に変わっていない。だから、不況になるとついつい外需を頼んでしまう。外需が膨らむと外貨決済のために円高になって、再び景気の芽を摘む。堂々巡りである。

 「日本人はちゃちに安っぽくなった」と、京都在住の米国人企業家で辛口の評論家としても知られるビル・トッテン氏はこう語る。自ら信じるモノやサービスを堂々と購入する力を持たない限り、この経済は縮小均衡を脱し得ないだろう。

(*日刊京都経済編集長・築地達郎

*:日刊京都経済は、1999年10月25日より週刊化し、週刊京都経済に改組