--- F1 Japanese GP SUZUKA 1987 ---
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 さて、公式予選が始まった。後の時代のように、予選用のスペシャルタイアも周回数の制限もない。もちろん107%ルールもない。また、当時は、今ほどグリッド順位は重要ではなかった。というのもレース中のオーバーテイクは、簡単ではないが、至難ではなく、各レースでは何回も追い抜きのシーンは見ることができた時代であった。しかし、各ドライバーは闘犬の如く、1秒でも速く走ろうと、手抜きや妥協のない闘いを目の前で繰り広げてくれた。この姿勢は、表彰台どころか、入賞もかなわないような下位チームでも同じだった。みるみる予選の記録は上がっていく。このようなプロフェッショナルな闘いは、日本のプロ野球や相撲では感じられなかった激しいものであった。



初日午後の第1回公式予選
(ホームストレート)

( click here for movie: 3.7 MB )
左は、ホームストレートのピット出口の先で撮影したビデオである。現在ではDスタンドのある場所で、自由席だった。観客は鈴なりで、300km を越えるスピードを堪能していた。ターボ時代のマシンは、直線で現在(1996年)より30km/h 以上速かった。カメラでマシンを追うのは、慣れない者には難しかった。

初日午後の第1回公式予選
(第2コーナー)

( click here for movie: 3.1 MB )
第2コーナーのコーナリングも、今(1996年)から比べると車幅一つ二つ分ふくらんでいる。ストレートでのスピードが速かったことと、当時のブレーキ性能、ターボエンジンのレスポンスなどの違いから来ている。

マンセルがクラッシュ
(S字カーブ)

( click here for movie: 3 MB )
マンセルは、前のメキシコのレースに次いで、ここでも勝って、ポイントでピケを逆転して初チャンピオンを是が非でも獲得しようとしていた。なにしろ彼は、前年、9割がた手中にしていた王座を最終戦のタイアバーストで逃していた。予選開始早々から1'42"台を出し、いざ、これから更に
1-2 秒タイムアップと狙った矢先にS字でスピン。後ろからタイアバリアにクラッシュ。背中を傷め、ヘリコプターで病院へ急行。以降のレースに出場が無理となり、またチャンピオンの座は夢と消えた。
相性は悪くないのだが、マンセルは鈴鹿で優勝することも表彰台に登ることも、その後なかった。チャンピオン獲得の宿願達成は、5年後のハンガリーまでファンは待つことになる。

初日午後の第1回公式予選
(逆バンク)

( click here for movie: 2.8 MB )
コーナリングスピードは、今より遅いとはいえ、普通の車はおろかグループCはじめ他のカテゴリーのレースカーよりもずっと速かった。S字〜逆バンクの小さい連続カーブのタッキングも鮮やかであった。肉眼で見たプロストのダンロップカーブへの切り返しは、今だに脳裏に焼き付いている。ビデオでお見せできないのが、残念である。


--- F1 Japanese GP SUZUKA 1987 ---



当時、まだ観衆はF1グッズを
身につけていない

当時は、F1グッズにどういうものがあるかも日本のファンにはそれほど知られていなかったし、本場のチームウェアや帽子を都会で売っているところもなかった。左のように、ハイキングか、野球かゴルフの観戦に行くような服装で、ファンは鈴鹿に来ていた。
鈴鹿サーキット内で販売されていた各チームグッズは、あたかも海外旅行みやげのような印象で買われていった。
その後、この年の冬あたりから、F1グッズを輸入販売する店が東京や大阪に現われ始めた。

レースクィーンの美女たち
( click here for movie: 3.8 MB )
当時は、日本でもレースクィーンの存在が一般にも認知されだした頃。

鈴鹿サーキットのクィーンは、コスチュームデザインも穏やかなもので、品のある感じが彼女たちから漂っていた。

今、彼女たちは、どう暮らしているのであろうか?
F1を愛し続けてくれていることを期待したい。
p.4 に続く