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【背景】
 1988年は、ターボエンジンの規制がより強められ、搭載燃料は150リットル、ブースト圧は、2.5バールになった。一方、NAエンジンの方は燃費規制はなくなり、グッドイヤーのタイアテストもNA有力チームでなされる状況であった。NA勢はターボ勢と互角の戦いをするという予想でシーズンは始まった。
 しかし、蓋を開けて見ると、NA対ターボという図式は崩れ、第2戦のサンマリノGPで決定的になったように、マクラーレン独走の様相を呈した。良いマシンに最強のドライバー2人、全てのレースでポールと勝利を獲得し、1984年を上回る完全試合も達成かと噂されるくらいであった。結果として、イギリスGPのポールとイタリアGPの勝利をベルガーに譲り、その実現はならなかったが、セナという新横綱とベテラン横綱プロストのでのチャンピオン争いとなったのが、このシーズンであった。(相撲で言うと、昭和44年、油ののった年間最多勝利数獲得の若さみなぎる玉乃海と歴代最多優勝を誇る大鵬という両雄の対決に対比できると、私は当時思っていた。)

 鈴鹿のレースを迎えた時、セナは7勝、ポイントは79(有効ポイントは79)、プロストは6勝、ポイントは90(有効ポイントは84)となっていた。この頃は、ドライバーズ チャンピオン決定に際しては、獲得ポイントのうちの上位11レースでのポイント合計点という有効ポイント制が使われていた。プロストはリタイアの2レース以外は、すべて2位だったため、優勝しない限り有効ポイントが増えない状況であり、それまでのポイントは2位にいながら、セナのほうがチャンピオン獲得にはより近い立場にいた。

 セナの念願が成就するか、あるいは、1984年のラウダのように、プロストが先輩の貫祿を示すのか、そういう状況の中、鈴鹿のレースが始まった。
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