今、日本人の我々は、いろいろな社会問題に直面している。住専の問題、国家財政の大きな赤字の問題、厚生省の汚職、O−157の蔓延、失業の問題、中高年がターゲットの会社のリストラ、青年の就職難、……。食べるものは、一応手に入るし、ものすごい貧窮にあえぐほどではないかもしれないが、このままでは良くない、何とか良い社会にしていけないか、と思う人が増えている。
では、具体的に何をすれば、良い社会になるのであろうか?
昭和30年代より始まった高度経済成長を経て、我々日本人の暮らしは、以前に比べ、はるかに物質的に豊かになり、カラーテレビ、エアコン、車、オーディオ、ビデオ、等々、様々な製品に囲まれた生活ができるようになった。昭和元禄という言葉も既に、何年も前に使い古されてしまった位である。その元禄時代を経て、何度も財政危機に襲われながら、250年以上も続いた徳川時代。この末期に何やら、現代は似ていないだろうか、とりわけ、政治や行政に不満を持った時、そう思う。開国後、英国公使館の通訳として、日本に滞在していた、アーネスト・サトウの記録を読むと、1860年代の幕府は既に、行政能力に乏しかったことが判る。生麦事件の英国人殺害事件に際し、英国側から幕府に対し、賠償他の要求がなされた時、幕府の閣老は、(1)数度にわたり回答期限の猶予を申出、(2)裁可を仰ぐ将軍の京都滞在がいつまで続くか不明と答え、(3)その後一旦、賠償金は国内一般の(特に反対派の)注意を引かぬよう分割して払うことを提案したが、(4)またまた具体的協議は引き延ばされた上、(5)最後には、のっぴきならぬ事情が生じ約束の履行ができなくなったので相談したい、と持ちかけた。結局、英国側より幕府側の不誠実が強く非難されたのに応じ、賠償金全額は一括支払われた。しかし、同時に閣老は、朝廷の命を受けた将軍からの、諸港を閉鎖し全外国人を国外退去させよ、との外交上の考慮に欠けた指示を、そのまま英国側に通知するという、理解に苦しむ行動を取っている。このように、幕臣は、強い英国側の申し入れと、尊皇派への対応の苦慮の狭間で右往左往するだけで、自ら問題の解決さえできない状態であった。難問を巧妙に解決する知恵も、旧来の考えを一新するような決断力も、真実を相手に語り交渉する誠実さも、もはや持ち合わせていなかった。財政改革も、住専問題にも十分対応できない、現在の日本の政治家や官僚の姿と、まったく一緒に見えてしまう、といったら失礼だろうか。
しかし、これは、個々の政治家や官僚の能力の問題というよりも、その構造、日本という機構のシステム的問題である、と、私は考えたい。ちょうど、昆虫が脱皮を繰り返さないと成虫になれないのと同じで、システムは、いつまでも同じ衣の下で発展成長はできないはずである。この30年余、うまく機能してきた仕組が既に役に立たなくなりつつあるため、いろいろな問題が生じてくる、あるいは新たな問題に対しての対応能力に欠ける状態になっているという見方を私はしたい。歴史は、このような事態に対し、革命、王朝の交代、戦争等で、強制的な脱皮を人類に促してきた。しかし、我々自身も、またシステムそれ自体も、平和的な変革を望む以上、我々は、国や社会の構成員として、いつまでもこれまでの仕組の延長で物事を処理してばかりいてはいけない。まして、旧来のシステムをうまく使って利権を得ようなどと企む行為は、恐らくシステムそのものに予想より早い死をもたらしてしまうはずである。利権の獲得などは、沈没しようとする船の中で、財宝の奪い合いをするような何の益もないことではないだろうか。今回の選挙の結果、再び、公共投資や地元への利益誘導の話が出てくるたびに、そのあざとさを思ってしまう。そういうことをしている余裕は、すでに刻一刻なくなりつつあるはずだ。
さて、それでは、我々は今何をなすべきなのか? それには、個々人がもっとしっかりした考えを持ち、ハッキリと自覚して正しいことを進めていくことが必要である。が、この考えを、今 展開することは、ここで敢えて控え、国としての目標に視点を変えてみたい。そのほうが、むしろ、これの回答に近づけるのではないかと思う。
私は、これまでのように加工貿易を国是とし、良い品質の製品を輸出することによって、日本の発展をしていくのは、もう無理だと思う。NIES各国での、電気製品やコンピュータの製造の様子を見ていると、独創性はそれほどではないが品質は高いという日本製品も、他国のものに比べ優位性は既に見えない。アイデンティティに乏しく高価格なだけの製品は早晩競争力を失ってしまうだろう。しかし、もし、日本製品に、なにかしら主張のある良さがあるならば、少々高くても、それは消費者にとって買うメリットはある。つまり、これまで日本人に乏しいとい言われてきた独創性を培うことが、そういった製品を作っていく上で、大事になってくる。そのためには、あくせく価格競争や製品化の早さのみを競うのでなく、それぞれ各人の個性、持ち味を如何にうまく出していくかが勝負になってくる。これまでのマネーの面で精力的なビジネス活動から、文化的な面へ活動の焦点をシフトさせていく必要がある。もっと、すぐれた文学や音楽、美術品や工芸品、芸能なども味わいながら、自らの主張を開花させていくことが創造性の発展に、今後大事になってくると、私は思う。
もう一つのアイデアは……。日本ほど、教育が進んで、高い教養や様々な情報を獲得しやすい環境を持っている国は少ないと私は思う。また、日本人ほど、他国の良いものを吸収して、(食べ物で言えば、カツ丼や、すき焼きに代表されるように、)自国の味に換骨奪胎するのがうまい民族はいない。器用な民族なので、他国の文化も、そのまま味わってしまえる、あるいは他国の文化を自ら演じきるほどの柔軟性も持ち合わせている。このような特性を活かして、世界の文化集約拠点として、日本を位置付けることも可能なのではないであろか。例えば、各国の貴重な文化遺産を日本で保存したり研究できる環境は整えられると思う。これらの活動には、高度な知的活動集団がいないと困難な面もあるが、日本人の素養から、それは可能であろう。風化で傷む遺跡の修復を行う会社や、古美術品の鑑定やその修復を行うビジネス。絶滅しそうな動植物の飼育繁殖を行う生物保護センター。あらゆる知的問い合わせに対して回答を提供する文化データベース・プロバイダー。各国の祭の再現や、恵まれた環境下で国際的スポーツイベントを興行するプロモーター。各国の歴史的物語を世界的にヒットする映画やビデオに仕立て上げるプロダクション。各国の古今から現代までの文献を様々な言語に訳す世界翻訳センター、等々。これらの、知的産業を新たに興すことが、日本に新たな発展をもたらさないであろうか。もし、全世界の人類に十分、衣食住が提供されるような時代が来たら、このような知的な部分での活動は不可欠になり、必ずや新しいビジネスとして渤興できるはずである。そして、このような文化的活動は、各民族間の相互理解や交流も促し、国際平和を更に確固たるものにしていくだろう。(司馬遼太郎氏は、晩年、民族が互いによく知り合うことが平和につながると説いていた。)
以上の論を実現するためには、我々は、もっと知的に、文化的に、ならなければならない、そのような自立した人間は、従来の勉強とは別の、本当に面白い、心が踊るような精神活動の過程から生まれてくるであろう。ラ・プリマベーラは、そのための一隅を照らす活動として、知的な文化的な情報を皆さんとわかちあう場を提供していきたい。
1996年11月 ラ・プリマベーラ代表: 村林 成
(1996年11月15日初版 Salone della Primavera)