ザ・サークルの生い立ちとこれまで

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1973年に、バンジョーの加藤、ギターの青木、ベースの辻が、ヤマハのライト・ミュージック・コンテストに出場するために、即席のバンドを作ったのが、ザ・サークルの始まりです。コンテストの結果は、松阪地区優勝、合歓の里での三重大会に出場という輝かしい成果を上げて、バンド活動がスタートしましたが、3人は、某楽器店の引き合せで知り合ったのでした。

オリジナルメンバー(合歓の里で)

 私たちのバンドの名前ですが、地区優勝したときにはまだなくて、優勝発表の直前になって、青木が "Will The Circle Be Unbroken"(永遠の絆)というアメリカの有名な歌の題名をとって "The Circle" をバンドの名前としてはどうかと提案、それがいい、それがいいということになったのでした。安易につけたわりには、良い名前ではないでしょうか。私たちのバンド活動が長く続いているのは、この名前の「御利益」かもしれません。

バンジョー:加藤(バンドリーダー)


 その後、電車の中で加藤の奥さんに声を掛けられた村林、フィドルの高橋、キャンプで知り合った当時弱冠18歳の祖父江と、次々とメンバーが増え、ブルーグラスのフル編成が実現しました。

1977年、加藤がスキーツアーで "歌のうまい女の子" を見つけ、すぐにメンバーに登用。これが、榎本、ザ・サークルのリードボーカルです。

リードボーカルの榎本と、ギターの村林

1978年、アマチュアバンドが合同で、ライト・ミュージック・コンサートを開催、そのレギュラーバンドとして毎年出演するようになりました。定期的な発表の場を確保して演奏に磨きがかかり、レパも増えました。

リードボーカルの榎本と、ベースの佐藤

1982年、第5回のライト・ミュージック・コンサートに、子育ての終わった榎本が初登場。「歌の上手な美人歌手」として人気が沸騰し、ザ・サークルの看板ボーカルとしてファンが各地に増えています。

 この頃、福本、新堂も参加。一方、高橋、祖父江らは、忙しくなり、「鈴鹿の歌のコンテスト」で知り合った佐藤がメンバーになり、とメンバーの入れ替わりがあり、現在6人で活動しています。


フィドルの福本と マンドリンの新堂

1992年、三重県で開催された「世界祝祭博覧会・まつり博・三重 '94」のマスコット・キャラクターミポラのテーマソングに、加藤と榎本が作った"ミポラといっしょに"が正式採用され、まつり博のPRにも一役買いました。

1995年 2 月 4 日、三重県総合文化センター小ホールで、初の主催単独コンサート「ザ・サークル アコースティック コンサート」を開催しました。

1998年 8 月 28 日、津リージョンプラザ・お城ホールで、「結成25周年記念 ザ・サークル アコースティック コンサート 〜 永遠のきずな 〜」を開催しました。


当日は、25 年前の創設メンバーで当時の曲の再演奏も行いました

2000年、榎本が作詞・作曲した「みつばちマナビィ」が、第12回全国生涯学習フェスティバル「まなびピア三重2000」のイメージソングに採用され、フェスティバルの盛り上げに一役買いました。


 ライブ、コンサート、イベント、ボランティアなどいろいろな機会を通じて、三重県内各地で私たちの演奏を聞いていただいています。



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