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モーツァルトをとりまく人々


名  前 N A M E 生存年 説明
アウエルンハンマー Josephine von Auernhammer 1768 - 1820 ウィーン時代のモーツァルトのピアノの弟子。すぐれた女流ピアニスト。
アーダムベルガー Johann Valentin Adamberger 1743 - 1804 テノール歌手。「後宮からの誘拐」のベルモンテの初演をうけもった。 のちに、ウィーン宮廷礼拝堂歌手。
アードゥルガッサー Anton Cajetan Adlgasser 1729 - 1777 エーベルリーンの弟子で、その後継者。
ザルツブルクのオルガニスト、作曲家。
アフリジオ Giuseppe Affligio 1719 - 1787 ウィーンの劇場興行師。
第2回ウィーン旅行の際、皇帝から依頼された”ラ・フィンタ・センプリチェ”の上演を妨害した。
アーベル Karl Friedrich Abel 1723 - 1787 ロンドンで活躍したドイツ系作曲家。
ガンバの名手としても知られた。クリスティアン・バッハと協力して活動。
アルコ伯爵 Karl Joseph Maria Felix Arco 1743 - 1830 ザルツブルクの宮中顧問官をしたあと、ノイハウスの管理者および料理人頭となる。
モーツァルトが大司教と決裂した際、間に介在した人物。この時、モーツァルトを足蹴にして追い出したことで有名。
アレグリ Gregorio Allegri 1582 - 1652 ローマ楽派の代表的作家の一人。
彼が作曲したローマのシスティーナ礼拝堂秘伝の”ミゼレーレ”を14 歳のモーツァルトが聴いただけで正確に楽譜にしたことで知られる。
ヴァーゲンザイル Georg Christoph Wagenseil 1715 - 1777 ウィーン前古典派の代表作曲家。
幼時より、モーツァルトに多くの影響を与えた。
ヴァルゼック伯爵 Franz Graf Walsegg-Stuppach 1763 - 1827 貴族の音楽愛好家。
”レクイエム”の匿名による注文主。
ウェーバー
(アロイジア)
Aloysia Weber 1760? - 1839 ウェーバー家の次女。
モーツァルトが失恋を経験した女性。歌手としてすぐれ、当時さかんに活躍した。のちに、モーツァルトの肖像画で有名なランゲに嫁した。
ウェーバー
(ゾフィー)
Sophie Weber 1767? - 1846 ウェーバー家の末娘。
臨終の床のモーツァルトは彼女の手厚い看病を受けた。のちに、シカネーダー一座のテノール歌手、ヤーコブ・ハイベルと結婚。
ウェーバー
(フリードリーン)
Fridolin Weber 1733? - 1779 モーツァルトの義父。
バス歌手のほか、プロンプターや楽譜浄写業を兼ねていた。
ウェーバー
(マリア・ツェツィーリア)
Maria Caecilia Weber 1727 - 1795 フリードリーンの妻。
モーツァルトの義母となる。
ウェーバー
(ヨゼーファ)
Josepha Weber 1758 - 1810 ウェーバー家の長女。
歌手としてすぐれ、のちにヴァイオリン奏者フランツ・ホーファーに嫁す。
ヴェンドリング Johann Baptist Wendling 1720 - 1797 マンハイム宮廷楽団の名フルート奏者。
エッカルト Johann Gottfried Eckhardt 1735? - 1809 パリに定住して活躍したアウグスブルク出の作曲家。クラヴィア奏者としても知られた。
エーベルリーン Johann Ernst Eberlin 1702 - 1762 ザルツブルクの宮廷オルガニストおよび宮廷楽長。
カンナビヒ Christian Cannabich 1731 - 1798 マンハイム宮廷楽団のヴァイオリン奏者、指揮者。マンハイム楽派の代表作曲家として知られる。彼の一家はモーツァルトと親しく交際した。
グリム Friedrich Melchior Grimm 1723 - 1807 ドイツ生まれのフランス啓蒙思想家。百科全書家の一人。
モーツァルトは、2度のパリ旅行の際、彼の世話を受けた。
グルック Christoph Willibald Gluck 1714 - 1787 古典派の代表的歌劇作曲家。
オペラの改革で名高いが、モーツァルトとは傾向を異にする。ウィーン宮廷作曲としてモーツァルトの前任者。
クレメンティ Muzio Clementi 1752 - 1832 ピアノ奏者としてのほか、作曲家、教師として名高い。
ウィーン宮廷でモーツァルトと競演、自他ともにモーツァルトの勝ちを認めた。
サリエリ Antonio Salieri 1750 - 1825 イタリア生まれの作曲家。
モーツァルトの苦境時代、ウィーンの宮廷楽長をつとめて名声をほしいままにした。
モーツァルトを毒殺したという伝説がある。
ザロモン Johann Peter Salomon 1745 - 1815 ハイドンをロンドンに招いたことで知られる音楽興行師。
最晩年のモーツァルトをロンドンに誘ったが実現しなかた。ハイドンの”ザロモン交響曲”で音楽史に名を残す。
サンマルティーニ Giovanni Battista Sammartini 1698 - 1775 グルックの師にあたる当時の代表的イタリア作曲家。
モーツァルトは、イタリア旅行のとき面識を持ち、影響を与えられた。
シカネーダー Emanuel Schikaneder 1751 - 1812 多才で俳優、歌手、脚本作家もかねた劇場興行師。
モーツァルトとは”魔笛”で密接な関係を結んだ。
ジャカン Gottfried von Jacquin 1767 - 1792 モーツァルトがウィーンで親しく交際していた植物学者ニコラウスの息子。
シャハトナー Andreas Schachtner 1731 - 1795 モーツァルト一家が親しくしていたザルツブルク宮廷楽団のトランペット奏者。
モーツァルト幼年時の逸話が彼によって伝えられている。
ジュスマイアー Franz Xaver Suessmayr 1766 - 1803 モーツァルトの作曲の弟子。
モーツァルトの指示で”レクイエム”を完成した。
シュタートラー
(アントン)
Anton Stadler 1753 - 1812 ウィーン宮廷楽団に仕えた当時のすぐれたクラリネット奏者。
シュタートラー
(マクシミリアン)
Maximilian Stadler 1748 - 1833 作曲家および理論家で僧職にもあった。
ウィーンでモーツァルトと知り合い、モーツァルトのいくつかの作品は彼によって補筆完成されている。
シュテファニー Gottlieb Stephanie d.j. 1741 - 1810 劇場監督。
”後宮からの誘拐”や”劇場支配人”などの台本を書き、モーツァルトのドイツ語歌劇の創作に協力。
シュトック Dora Stock 1760 - 1831 1789 年プラハで知ったクリスティアン・ゴットフリート・ケルナーの義妹。
モーツァルトの最後の肖像画の作者。
ジュノム Jeunehomme ? - ? フランスの女流ピアニスト。
1777 年ザルツブルクを訪れた彼女に、モーツァルトはピアノ協奏曲変ホ長調(K271)を作曲した。のちに、パリでも再会。
シュラッテンバッハ
(ジギスムント・フォン)伯爵
Sigismund Christoph Graf
von Schrattenbach
1698 - 1771 モーツァルト生誕当時のザルツブルク大司教。
寛大でモーツァルト一家に度重なる旅行を許した。
ショーベルト Johann Schobert 1720? - 1767 パリで活躍したドイツ系の作曲家。
モーツァルトは、幼時のパリ旅行のとき、多大の影響を受けた。
スヴィーテン Gottfried van Sweiten 1734 - 1803 ウィーン時代に親しくした音楽愛好貴族。
この男爵を介してバッハ、ヘンデルなどのバロック音楽を知る。
ストリナザッキ Regina Strinasacchi 1764 - 1839 当時有名なイタリアの女流ヴァイオリン奏者。
モーツァルトはウィーンで彼女のために、ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調(K454)を書いた。
ストレース Anna Selina (Nancy) Storace 1766 - 1817 モーツァルトと親しい関係にあった英国のソプラノ歌手。
”フィガロの結婚”の初演のスザンナ役をつとめた。
ディッタースドルフ
(ディッタース・フォン)
Carl Ditters von Dittersdorf 1739 - 1799 オーストリアの代表的作曲家でハイドン、モーツァルトとも親しい関係にあった。
ドゥーシェク Josepha Duschek 1754 - 1834 プラハの作曲家、ピアノ奏者、教師として名高かったフランツ・クサーヴァーの妻で名ソプラノ歌手。モーツァルトと特に親しい関係にあった。
トゥン伯爵夫人 Marie Wilhelmine Grafin von Thun 1768 - 1820 フランツ・ヨーゼフ・フォン・トゥン伯爵の夫人で、モーツァルトの終生変わらぬ保護者であった。
トラットナー Maria Theresia von Trattner 1758 - 1793 富裕な書籍業者、ヨハン・トーマスの妻。
ウィーン時代のモーツァルトのもっともすぐれたピアノの弟子。
彼女のために書いた作品がいくつかあり、また、きわめてうちとけた仲でもあった。
ナルディーニ Pietro Nardini 1722 - 1793 イタリアの有名な弦楽奏者件作曲家。
モーツァルトはイタリア旅行の際、知り合っている。
ニッセン Georg Nikolaus von Nissen 1761 - 1826 デンマークの外交官。
コンスタンツェ・モーツァルトと結婚。モーツァルトの手紙等を蒐集、それをもとにして最初の大掛かりな「モーツァルト伝」を編む。
ノヴェール Jean-Georges Noverre 1727 - 1810 パリの有名な舞踊家兼振付師。
モーツァルトはパリ滞在の折に関係をもった。
ハイドン
(ミハエル)
Michael Haydn 1737 - 1806 ザルツブルクで活躍した教会音楽家。
モーツァルトとの関係が深い。ヨーゼフ・ハイドンの実弟。
ハイドン
(ヨーゼフ)
Franz Joseph Haydn 1732 - 1809 モーツァルトと並び称される古典派の代表作曲家。
互いに影響しあい、親交を結んだ。
ハーゲナウアー Johann Lorenz Hagenauer 1712 - 1792 ザルツブルクのモーツァルト家の家主の大商人。
とくに旅行中には大きな援助を与えられている。
ハッセ Johann Adolph Hasse 1699 - 1783 イタリアに学んだドイツの代表的歌劇作曲家。
モーツァルトをオペラを競作している。
ハッツフェルト August Graf von Hatzfeld 1756 - 1787 ヴァイオリンに巧みだった貴族。
同年のモーツァルトととくに親しい間柄にあった。
バッハ
(エマヌエル)
Carl Philipp Emanuel Bach 1714 - 1788 ヨハン・セバスティアン・バッハの第四子。
古典派音楽の発展に重要な役割を果たした。
ベルリン楽派の代表音楽家。モーツァルトにも大きな影響を与えた。
バッハ
(クリスチャン)
Johann Christian Bach 1735 - 1782 ヨハン・セバスティアン・バッハの末子。
イタリアおよびロンドンで活躍。モーツァルトもロンドンで直接学んでいる。
エマヌエルとは対照的にラテン的なスタイルをもつ。
ハフナー Sigmund Haffner 1756 - 1787 ザルツブルク市長だった同名のジーグムント・ハフナー(1699-1772)の息子。
”ハフナー・セレナーデ(K250)”は彼の妹の結婚式のために、”ハフナー交響曲(K385)”は彼自身が貴族に列せられた折に作曲された。
パラディス Maria Theresia Paradis 1759 - 1824 ザルツブルクで知り合い、ウィーン時代にも彼女のために作品を書いた、盲目の女流ピアニスト。
バリザーニ Sigmund Barisani 1761 - 1787 モーツァルトがザルツブルクで親しくしていた医師ジュルヴェスター・バリザーニに息子。
彼もまた医師となり、モーツァルトの親友であり、主治医でもあったが早死している。
ヒエロニムス・フォン・コロレード伯爵 Hieronymus Graf von Colloredo 1732 - 1812 ジギスムント・フォン・シュラッテンバッハを継いだザルツブルクの大司教。
モーツァルトは彼を嫌って職を離れ、独立した音楽家としての生活に入った。
ピッチーニ Niccolo Piccini 1728 - 1800 イタリア・ナポリ派のオペラの代表作家で、グルックとの争いで名高い。
モーツァルトは、彼と直接面識を得た。
ヒラー Johann Adam Hiller 1728 - 1804 当時の代表的な作曲家。
とくにジュングシュピールの発展に大きな貢献を果たした。
フィッシャー Ludwig Fischer 1745 - 1825 ラムに学んだ名バス歌手。
”後宮からの誘拐”のオスミンを初演した。後年、ベルリンで活躍。
フォークラー Georg Joseph Vogler 1749 - 1814 各地で作曲家、オルガン奏者、理論家として多面的な活動をした音楽家。
マルティーニの弟子。
マンハイムでモーツァルトと知り合ったが、モーツァルトは彼に好感情は持たなかった。
プフベルク Johann Michael Puchberg 1741 - 1822 ウィーンの富裕な織物業者。
モーツァルトとはフリーメーソンを通じて親しい関係をもつようになり、晩年のモーツァルトの度重なる借金の申し込みにも応じた唯一の人物。
ブルリンガー Joseph Bullinger 1744 - 1787 ザルツブルク時代、モーツァルト一家と親しかった聖職者出身の傅育係。
モーツァルトは旅行の際、費用を借りたこともある。
フンメル Johann Nepomuk Hummel 1778 - 1837 モーツァルトの弟子。
晩年、ピアニストとして、ベートーヴェンとならび称された。
ベートーヴェン Ludwig van Beethoven 1770 - 1827 ハイドン、モーツァルトの後継者の大作曲家。
1787 年、ウィーンでただ一度、モーツァルトを訪問した。
ベルヒトールト・フォン・ゾンネンベルク Johann Baptist Franz Berchtold
von Sonnenburg
1736 - 1801 モーツァルトの姉ナンネルの夫。
ホナウアー Leontzi Honauer 1735? - ? 1760 年ごろから、フランスで活躍していたドイツ系作曲家。
ボーマルシェ Pierre-Augustin Caron
de Beaumarchais
1732 - 1799 18 世紀フランスの代表的喜劇作家。
”フィガロの結婚”の原作者。
ホルツバウアー Ignaz Holzbauer 1711 - 1783 マンハイム楽派に属する作曲家で、宮廷楽長。
彼のオペラはモーツァルトに強い印象を与えた。
マルティーニ Giambattista Padre Martini 1706 - 1784 イタリアの作曲家、理論家、教師として、当時の第一人者。
モーツァルトはイタリア旅行の際、大きな影響を受けた。
マンツォーリ Giovanni Manzuoli 1715? - 1780? フィレンツェ生れで、ロンドンで活躍したすぐれた男性ソプラノ歌手。
少年モーツァルトは、ロンドン滞在の折に個人的にも知り合った。”アルバのアスカーニオ(K111)”でアスカーニオの初演歌手。
メタスタージオ Pietro Antonio Domenico Metastasio 1698 - 1782 18 世紀最大のイタリア系歌劇台本作者。ウィーンの宮廷詩人。
”シピオーネの夢(K126)”、”牧人の夢(K208)”などの台本作者。
モーツァルト
(アンナ・マリア)
Anna Maria Mozart 1720 - 1778 レオポルト・モーツァルトの妻。モーツァルトの母。
モーツァルト
(カール・トーマス)
Karl Thomas Mozart 1784 - 1858 モーツァルトの次男。長生きした息子の一人。
モーツァルト
(コンスタンツェ)
Konstanze Mozart 1763 - 1842 ウェーバー家の三女。モーツァルトの妻。
のちにニッセンと結婚。
モーツァルト
(フランツ・クサーヴァ・
ヴォルフガング)
Franz Xaver Wolfgang Mozart 1791 - 1844 モーツァルトの末子(四男)。
のちに、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト2世と称し、音楽家として活躍。
モーツァルト
(マリア・アンナ・
ヴァルブルガ・イグナーツィア)
Maria Anna Walburga Ignatia Mozart 1751 - 1829 モーツァルトの姉。通称ナンネル。
のちにベルヒトールト・フォン・ゾンネンブルクと結婚。
モーツァルト
(マリア・アンナ・テークラ)
Maria Anna Thekla Mozart 1758 - 1841 レオポルトの弟アロイス・モーツァルトの娘。モーツァルトのいとこ。
’ベーズレ(いとこちゃん)’の通称で知られ、彼と一時親密な関係にあった。
モーツァルト
(ヨハン・ゲオルク・レオポルト)
Johann Georg Leopold Mozart 1719 - 1787 モーツァルトの父。
ザルツブルク宮廷楽団員。作曲家としても活躍。「ヴァイオリン奏法」で理論家としても知られた。
ヨメッリ Nicolo Jommelli 1714 - 1774 ナポリ派の代表作曲家。
モーツァルトはイタリア旅行の際、彼と面識を持った。
ライトゲープ Anton Leitgeb 1749 - 1812 ヴァルゼッグ伯爵の代理で、モーツァルトに”レクイエム”の作曲依頼をした灰色の服を着た不気味な例の人物。
ラウッツィーニ Venanzio Rauzzini 1747 - 1810 イタリア生れの歌手。ヨーロッパ各地で活躍した。
ラウパッハ Hermann Friedrich Raupach 1728 - 1778 ペテルブルグで活動したあとパリで活動したドイツ系作曲家。
ラーフ Anton Raaff 1712 - 1797 ドイツのテノール歌手。各地で活躍したあとマンハイム宮廷に仕えた。
ラム Friedrich Ramm 1744 - 1808? マンハイムの宮廷楽団に所属したすぐれたオーボエ奏者。
モーツァルトと親しい関係にあった。
ランゲ Josef Lange 1751 - 1831 すぐれた俳優。アロイジア・ウェーバーと結婚。
画にもたくみで、有名な未完のモーツァルトの肖像を残した。
ルソー Jean-Jacques Rousseau 1712 - 1778 フランス 18 世紀の代表的思想家。
音楽を好み、優れたエッセイや「音楽辞典」を残したばかりでなく、作曲活動も行った。
彼の「村の卜者」は、モーツァルトの”パスティアンとパスティエンヌ(K50)”のモデルとなった歌劇。
ロイトゲープ Ignaz Leutgeb ? - 1811 ザルツブルクの宮廷楽団に所属し、のちウィーンに移った優れたホルン奏者。
モーツァルトをかなり親しかった。

参考文献:「モーツァルト」海老沢 敏著、音楽之友社、1961年

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