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F1鈴鹿10年を振り返って 1987 鈴鹿サーキットでF1が開催されて10年が経過、それを記念して、各年のレースを 現地撮影のビデオも交え綴るシリーズの第1弾。 最初の1987年は、1977年富士以来10年振りのF1日本開催。オールドボーイ も含め、日本中のモータースポーツファンの熱い期待で迎えられた。日本人初のフルタイ ムF1ドライバーの中嶋が6位入賞。ベルガーがフェラーリに久々の優勝をもたらした。 タイトル争いのマンセルはフリー走行でクラッシュ、入院。チャンピオンはピケの手に。
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F1鈴鹿10年を振り返って 1988 鈴鹿F1、2年めの1988年は、あの天才セナが涙でチェッカーを受け、初チャンピ オンに輝いた年。また。カペリが数年振りのNAマシンとしての首位走行ラップを、 初の日本人F1オーナーの赤城氏にプレゼントもしている。
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F1鈴鹿10年を振り返って 1989 1989年は、白熱のレース展開となったが、誰も予想しなかった結末となった。 チャンピオンを賭けて追いつ追われつのセナとプロストは、47周めのシケインで接触。 マシンのダメージを跳ね返しての激走セナは、失格となり、ナニーニが初優勝。
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F1鈴鹿10年を振り返って 1990 2年続けてプロスト、セナのチャンピオン争いで迎えた1990年。スタート直後の 第1コーナーで再び激突リタイアの両者。コンストラクターでも争っていたマクラーレ ンとフェラーリは4台全滅。ピケ、モレノのベネトン1-2フィニッシュの次には、日本 人初の表彰台を鈴木亜久里が獲得。
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F1鈴鹿10年を振り返って 1991 1991年は、セナが開幕4連勝、ライバルのプロストに代わって、セナに立ちはだ かったのは、ウィリアムズのマンセル。夏場から完全にグランプリの主役に躍り出て、 逆転チャンピオンに賭け、鈴鹿に臨んだ。しかし、セナとベルガーの巧妙なチームワー クとホンダ投入の最強エンジンにより、またもマンセルの夢はかなえられなかった。 優勝は、最終ラップ、最終コーナーで、セナからベルガーにプレゼントされた。
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(速報ビデオ)1996 鈴鹿 あっぱれ、ビルヌーブ 1996年の鈴鹿は、デーモン・ヒルの完勝で、喜ばしいF1界初の父子チャンピオン 誕生となった。一方、チームメイトかつライバルであった新人ジャック・ビルヌーブの 敢闘も賞賛に値する。彼も、父に負けないドライバーになりつつある。そのビルヌーブ が惜しくも第1コーナーでリタイアした瞬間をデジタルムービーで速報。 (1996.11.22 初版、1998.02.26 改訂) |
文化は、人々の暮らし方そのものですが、同時にそれが、人々に安らぎや元気を与えてくれたりもします。Salone della Primavera は、いろいろな視点からとらえた文化の姿をホームページ上で紹介するオンライン雑誌です。当初、隔月刊とうたっておりましたが今回より、逐次情報を呈示していく形に変えました。以前提供していた記事もレイアウト他の改訂を併せて実施しました。 皆様からの情報提供、投稿も歓迎いたします。下記まで、御一報ください。 |
( 1998.02.21 ) |
Eメールアドレス:leonard@prmvr.otsu.shiga.jp |