1998年、アンサンブル・ヴォーチェでモーツァルトのレクイエムとKv.258のミサ曲を取り上げていたときに「ミサとレクイエムの構成」という文章をまとめたことがあるのですが、以来5年近くが経過し忘れておられる方も多いでしょうし、それ以降新しく入団された方もかなりの数に及ぶと思いますので、1998年の文章をもとに再度纏めなおしてみました。当時はメインレパがレクイエムだったので、レクイエムにかなりのウェイトを置いた書き方をしたのですが、今回はミサ曲なのでそのような纏め方に直しました。
ミサを歌うに当たって、ミサとはどんなものか、それぞれの曲がどういう場面で歌われ、ミサという一連の宗教儀式の中でどういう位置づけにあるかを理解しておくことは、演奏をするに当たって有益なものと思います。ただ、私自身もクリスチャンでもありませんし、無宗教を自認している人間ですが、手元にある資料を活用して、資料を纏めてみました。
以下の文章は基本的には
(1) 高橋正平著「レクイエムハンドブック」(1994年、(株)ショパン発行)
をベースにしていますが、
(2)相良憲昭著「音楽史の中のミサ曲」(1993年音楽の友社発行)
(3) 三ヶ尻正著「ミサ曲ラテン語・教会音楽ハンドブック」(2001年、(株)ショパン発行)
から引用し、その他一部は小生の知識で注記した部分があります。
引用の仕方や、小生の付けた注記については専門の立場から見れば間違っている点があるかも分かりませんがご容赦下さい。
また、以下の記述のうち、今回我々が歌う《ロ短調ミサ曲》に含まれている部分はゴシックで示すとともに、歌詞をかかげました。背景や式次第と歌詞を通して読んでいただくことで何かしらのイメージが深まればと考え、こういう編集をしてみました。
なお、今回のレパートリーではレクイエムは関係ありませんが、代表的な教会音楽であり、いずれの機会にか触れられることもあると思い、代表的な特徴だけ付記することにしました。
I.ミサ・レクイエムとは何か、及びその成立の歴史
1.ミサとは何か及びその成立
カトリック教会の一般的な表現として、「ミサ」はキリストの死と復活の記念だといわれている。
「主イエスは、引き渡される夜(即ち最後の晩餐)、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き『これは、あなた方のための私の体である。私の記念としてこのように行いなさい。』といわれました。」(コリント−10:23〜24 聖書は新共同訳)
このようなキリストの命令に基づき、キリスト教徒は最も初期から共同の食事を守ってきた。初代のクリスチャンは自らをユダヤ教の伝統を受け継ぐものと見なしていたので、まずユダヤ教の会堂で行われている礼拝に参加し、その後で信者の家に集まって共同の食事をした。ところがユダヤ教の方では、キリスト教徒を異端者と見なし、会堂から追放した。そこでクリスチャンはやむを得ず礼拝と食事を一緒に行うようになった。これが「ミサ」(聖餐式)の起こりである。
礼拝の部(シナクシス)は洗礼を受けていない未信者でも参加できるが、聖餐の部(ユーカリスト)は「キリストの体と血」であるパンと葡萄酒にあずかるので、信者だけしか参加できない。そこで「シナクシス」の終わりに、司会者は「行け、解散である(Ite, missa est)」と宣言した。そこから、「ユーカリスト」のことを「ミサ(解散)」と呼ぶようになり、ひいてはシナクシス、ユーカリスト両方を含むこの典礼形式そのものを、この名で呼ぶようになった。
はじめは、どちらかというと自由に行われていた典礼形式も次第に定式化、整備され、西方(ローマ)教会では、教皇グレゴリウス一世(在位 590〜604)によって正式な典礼文が制定された。グレゴリウス一世の時代から16世紀に持たれたトレント公会議までの約1千年間もミサの本質に変化はなかったが、徐々に儀式としての体裁が重視され、荘厳さ、優美さ、神秘性等が強調され、装飾的な要素が加味されて時にはそれが過剰になることもあった。また、聖遺物の崇拝にも見られるような迷信も横行するようになった。
このような状況の下に、1517年、ヴィッテンベルク大学教授マルティン・ルター(1483〜1546)が 95ヶ条の質問状を発することでいわゆる宗教改革が始まり、ヨーロッパ各地に広まっていく。それに対してカトリックの内部でも改革を行うべく招集されたのがトレント公会議で、1545年から18年間にわたって開かれ、グレゴリウス一世の時代への回帰を目指すとともに、ミサの一層の統一と画一化が行われた。使用する言語もラテン語に限られ、1570年にローマ・ミサ典礼書の規範版が出版された。今日、ミサ曲で用いられているミサ典礼文はほとんどがこの時の典礼書によっている。
なお、その後4世紀の間は大きな変革はなかったが1962年に第2ヴァチカン公会議と呼ばれる会議が招集され大きな改革がなされた。音楽の面から言って最も大きな変化は、ミサがそれぞれの国語で執り行われるようになったことで、日常の礼拝ではラテン語のミサ曲は歌われなくなった。
2.レクイエムとは何か・その成立
レクイエム(死者のためのミサ)はその名の通り、死者のためにささげるミサで、「ミサ」の中のある特別な形といえる。初期のキリスト教では、信者が亡くなったときにも、死によって失われることのないキリストとの永遠の交わりを感謝して「ミサ」の祭りをささげた。
このように、初期のキリスト教においては、葬儀のための「ミサ」でさえも祝祭的なものであった。しかしやがて中世も末期に近づいてくると(9世紀頃)、政情不安や飢饉、疫病など暗い世相の影響を受け、死生観も次第に陰鬱なものとなった。特に「人は死後、煉獄に落とされて厳しい責め苦を受け、罪の償いをせねばならぬ」という「煉獄説」が広く信じられるようになったこと、また本来、共同体の祭りであった「ミサ」の性格が個人の功徳として主観的に考えられるようになったことから、「死者のためのミサ」という形態が生まれてきた。すなわち、煉獄でさいなまれている死者のためにミサを上げてやれば、その功徳によって責め苦が軽減されていく、と考えられたことからこういうミサがしきりに行われるようになった。
このようにして始められた「死者のためのミサ」であるが、広く行われるようになるにつれ、一般のミサとは異なった独特の形式が次第に定着した。そしてこの典礼形式は、冒頭の「入祭唱」をはじめ、旧約聖書続編のエズラ記(ラテン語)2:34〜35から取られた「永遠の安息を与え…(Requiem aeternam donna eis…)」という句が、典礼文中に何度も繰り返されることから、この典礼形式は「レクイエム」という通称で知られるようになった。
しかし、もともとグレゴリウスの時代には無かった形式なので、16世紀までは公式に定められた典礼文が無く、地域的に異なった形式も行われていた。ミサの成立のところで述べたように16世紀中頃、トレントで公会議が招集され、ミサの改革がなされた。この会議では、中世に生まれた不純な典礼形式の多くが廃止されたが、「死者のためのミサ」は、煉獄説を否定するプロテスタントに対抗するため逆に整備され、公式な典礼文が制定された。
.ミサの式次第
《筆者注:1962年〜1965年に亘って開かれた第ヴァチカン公会議においてミサの在り方が見直されたため、1970年頃以降のミサの構成はかなり変わっている。ここでは通常我々が歌うミサ曲が作曲された当時に行われていたいわゆる「旧ミサ」について引用する。》
ミサの典礼文にはどの場合にも変わらない「通常文」の部分と、教会暦や目的などそのミサの主旨によって変化する「固有文」の部分がある。また、それぞれに司祭が唱える部分、聖歌隊の歌う部分がある。(聖歌隊の歌う部分とは本来会衆一同が唱和すべき部分だったが、中世以降一般信徒がラテン語を解しなくなったこと、またチャントの旋律がだんだんと技巧的で複雑なものとなり、専門の訓練を受けたもの以外には歌いこなせなくなったことから、もっぱら聖歌隊だけが歌うことになった。)
ミサの全体の式次第を示すと以下の通りである。
冒頭に着けた番号は次章の説明の番号と対応。また、(固)は「固有文」、(通)は「通常文」、(歌)は聖歌隊の歌う部分、(司)は司祭が唱える部分を示す。通常文が今回歌う《ロ短調ミサ曲》でも作曲されている部分。ただし、以前にも書いたが全体の構成の仕方がカトリック方式と違う他、歌詞が2ヶ所「通常文」とは違っている。
III.ミサ・レクイエム各部分
A. 集会の儀(シナクシス)
A-1.開催の儀
A-1-イ.入祭唱(Introitus)(固)(歌)
司祭は入場してくるとすぐに祭壇に上がって「父と子と聖霊の御名によりてアーメン」といいながら、右手で額と胸に十字架の印をする。ついで司祭と会衆は、自らの罪を悔い改めるための祈りをささげる。ついで唱えられるのが「入祭唱」で、おもにその日のミサの意向を示すものである。
ローマには七つの丘があり、そのそれぞれの上に聖堂があった。ローマ教皇は七つの聖堂をひとつひとつ巡ってミサをささげたが、その到着を迎えて歌った会衆の歌が「入祭唱」の起源である。
礼拝中に歌われる歌はまず何よりも「詩篇」。「詩篇」は聖書に収められた聖歌集で、「詩篇」を歌うことはキリスト教がユダヤ教から受け継いだ数千年の伝統である。
けれども、旧約聖書(ユダヤ教)の「詩篇」を新約聖書(キリスト教)の教会の礼拝に用いるに当たってどのような意図で用いるのかを明らかにするため、「交唱(Antiphona)」が付け加えられた。「交唱」とは、おもに聖書から取られた短い句で、詩篇の前後に繰り返される。古くは二組に分かれた聖歌隊が「交唱」と「詩篇」を交互に歌ったことから、「交唱」という名が付いた。 通常のミサでは、「詩篇」のあとに「栄唱(ドクソロジア:Gloria Patri・・・・)」を唱えてから「交唱」が繰り返される。
A-1-ロ.あわれみの賛歌(Kyrie) (通)(歌)
司祭が告白の祈りを唱えて罪の許しを神に祈った後、会衆はキリエを唱える。
この部分だけはギリシャ語。これはギリシャ語がローマにおいてもキリスト教徒の共通語として通用していた古い時代にまでさかのぼる伝統である。
初期には、ミサのはじめに助祭(司教、司祭につぐ第三位の聖職)が数々の祈りの綱目を読み上げ、会衆一同が声を揃えて「Kyrie eleison(キリエ・エレイソン)」と答えるという習慣があった。グレゴリウス教皇はラテン語典礼の制定に当たり、この「大連祷(Litania)」を廃止し、会衆の応答の句だけを残した。さらに三位一体の神をたたえるため、中間に「Christe eleison(クリステ・エレイソン)」をはさむ三部構成としたものである。
「あわれみの賛歌」とは、この新しい日本語名称がしめしているとおり、あわれみ豊かな神に対する賛美の歌であり、宗教改革時代に考えられたように「罪人が哀れみをこう歌」ではない。
「第1部、第1曲:Kyrie eleison-I」(合唱)
主よ、あわれみ給え。
「第1部、第2曲:Christe eleison」(ソプラノ2重唱)
キリストよ、あわれみ給え。
「第1部、第3曲:Kyrie eleison-II」(合唱)
主よ、あわれみ給え。
A-1-ハ.栄光の賛歌(Gloria)(通)(歌)
歌を伴ったミサでは、キリエが終わるとすぐに司祭が自ら第1節の冒頭部を先唱する。多声楽のミサ曲でも、この部分、即ち、「Gloria in excelsis Deo (天のいと高きところには・・)」だけはグレゴリオ聖歌の第1節を用いることが長く続いていた。
本来、グローリアは三位一体の神(創造主である父、キリストである子、それに聖霊)を賞賛する祈りで、既に4世紀にはシリアやギリシャで唱えられていたといわれている。ローマでは6世紀初め頃、それまではクリスマスの時だけに限られていたこの賛歌を、毎日曜日と聖人の祝日に祈るようになり、7世紀には今日のような形でミサの中に定着した。
「第1部、第4曲:Gloria in excelsis」(合唱)
天のいと高きところには神に栄光あれ。
「第1部、第5曲:Et in terra pax」(合唱)
地には善意の人に平和あれ。
「第1部、第6曲:Laudamus te」(ソプラノ独唱)
われら主をほめ、主を讃え、主を拝み、主をあがめ、
「第1部、第7曲:Gratias agimus tibi」(合唱)
主の大いなる栄光の故に感謝し奉る。
「第1部、第8曲:Domine deus」(ソプラノ・テノール2重唱)
神なる主、天の王、全能の父なる神よ。
主なる御一人子至高のイエズス・キリストよ。
神なる主、神の子羊、父の御子よ。
(筆写注:‘至高の’はカトリックのミサ典礼文にはない言葉。バッハがプロテスタントの慣習に従い補ったもの。)
「第1部、第9曲:Qui tollis peccata mundi」(合唱)
世の罪を除き給う主よ、われらをあわれみ給え。
世の罪を除き給う主よ、我等の願いを聞き入れ給え。
「第1部、第10曲:Qui sedes ad dextram Patris」(アルト独唱)
父の右に座し給う主よ、我等をあわれみ給え。
「第1部、第11曲:Quoniam tu solus sanctus」(バス独唱)
主のみ聖なり、主のみ王なり、主のみいと高し、
イエズス・キリストよ。
「第1部、第12曲:Cum Sancto Spiritu」(合唱)
聖霊と共に、父なる神の栄光のうちに、アーメン。
A-1-ニ.集会祈願(Collecta)(固)(司)
グローリアが終わると司祭は「Dominus vobis cum(主は皆さんとともに)」と会衆に挨拶し、会衆は「Et cum spiritu tuo(またあなたの霊とともに)」と答える。
グレゴリウス教皇は「大連祷」を廃止したかわりに、司式者が会衆全体を代表して祈る、その日ささげられるミサの主旨を表した短い祈りを置いた。一同の祈りを集約したという意味で「Collecta」と呼ばれている。この集会祈願はミサの行われる目的や機会によって細かく定められている。
A-2.ことばの典礼
「シナクシス」はユダヤ教の会堂(シナゴーグ)の礼拝に由来しており、その中心は聖書の朗読である。初期のミサでは旧約聖書、使徒書、福音書の3箇所から朗読が行われ、その間を繋ぐために二つの聖歌が歌われた。その後、旧約聖書の朗読は省略されたが、聖歌は両方とも残され、二つの聖歌を続けて歌うようになった。
A-2-イ.使徒書(Epistula)(固)(司)
これは聖パウロや聖ペテロなどキリストの弟子が各地のキリスト教徒の共同体にあてた手紙の一部を朗読するもので、司祭が普通の声で朗読するか、あるいはわずかな抑揚を着けて歌うもの。
A-2-ロ.昇階唱(Graduale)(固)(歌)
前述の朗読を繋ぐ聖歌の第一のもの。使徒書朗読の後、福音書朗読者が聖書台の階段を昇る時に聖歌隊と交わした歌。
A-2-ハ.アレルヤ唱(Alleluia)または詠唱(Tractus)(固)(歌)
前述のつなぎの聖歌の第2曲。通常のミサでは福音書の朗読前に、聖福音の中に語られるイエス=キリストの教えをたたえて「アレルヤ唱」が歌われる。
A-2-ニ.続唱(Sequentia)(固)(歌)
前述の繋ぎの聖歌の第2のものから派生したもの。
グレゴリオ聖歌の旋律によるアレルヤ唱はキリエと同じように、1音節にきわめて多くの音符を配し、高度にメリスマ的で装飾性が高いのが常であった。そのアレルヤという言葉の長い母音の部分に、「詩篇」の詩句がシラビック(1音節が一つの音に対応するのに近い)に付随して全く新しい聖歌が作られた。これがセクェンツィア(Seqentia)と呼ばれるものでアレルヤ唱に「続く」祈りということからこの名前が付いている。
セクェンツィアは特に13世紀頃に大流行し、アレルヤ唱から独立してミサの随所に挿入されたが、セクェンツィアは典礼の本質ではなく、いわば解説文のようなものだったために、トレントの公会議で大幅に制限され、「死者のためのミサ」のセクェンツィア(「Dies irae」)を含め、五つだけが生き残った。聖母マリアの七つの苦しみの祝日のためのセクェンツィアがこれまた名曲の多い「Stabat Mater(悲しみの聖母)」。
A-2-ホ.福音書(Evangelium) (固)(司)
福音書とは、4人の福音史家(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)によって書かれたキリストの事跡を伝える新約聖書のことであるが、ミサでは必ずその中の何節かが朗読される。
キリストの受難の1週間である「聖週間」のミサの福音書は、キリストが捉えられて死刑の宣告を受け、十字架上で死ぬまでの部分を延々と朗読されるが、これに作曲したのが「受難曲」である。
A-2-ヘ.信仰宣言(Credo)(通)(歌)
ついで「クレド」が行われる。但し、「グローリア」と同様に「死者のためのミサ」の場合は省かる。
「クレド」はキリスト教の主要な教義を列挙した祈りで、その内容はニケア(325年)とコンスタンティノーブル(381年)の二つの公会議で確認されたカトリックの教義を骨子としている。そのために「ニケア・コンスタンティノーブル信条」と呼ばれることもある。“ロ短調ミサ曲で”第2部の表題‘Symbolum Nicenum’はまさにこの呼び名によったものである。6世紀初頭にまずコンスタンティノーブルの教会がミサの中で唱えるようになり、東方教会、スペイン、イギリス等を経て、11世紀始めには正式にローマ典礼のミサの一部と決められた。「死者のためのミサ」の中でクレドが歌われないのは、本来は賛歌としてミサの中で歌われるようになったもので、信仰の告白と理解されるようになったのは宗教改革以降だからである。
クレドは平日のミサにはなく、日曜日と祝日だけに唱えられる。歌唱ミサの場合にはグローリアと同じように、最初の1節は司祭により先唱される。これを受けて、多声音楽のミサの場合でも、規模の小さい曲では「Patrem omnipotentem(全能の父)」から作曲されているものが多くなっている。
「第2部、第1曲及び第2曲:Credo in unum Deum」(合唱)
我は信ず、唯一の神、
「第2部、第2曲:Patrem omnipotentem」(合唱)
全能の父、天と地、みゆるもの、見えざるものすべての創り主を。
「第2部、第3曲:Et in unum Dominum」(ソプラノ2重唱)
我は信ず、唯一の主、神の御一人子イエズス・キリストを。
主は、よろずよの先に、父より生まれ、神よりの神、光よりの光、
まことの神よりのまことの神。つくられずして生まれ、父と一体なり、
すべては主によりて創られたり。
主はわれら人類のため、またわれらの救いのために天よりくだり、
「第2部、第4曲:Et incarnatus est」(合唱)
聖霊によりて、おとめマリアより御からだを受け、
人となり給えり。
(筆写注:バッハは元々この部分も前のソプラノ2重唱に含めて作曲していたが、"Credo"を構成する9曲を次の‘Crucifixus’を中心として、対称の構成とするためこの合唱曲を追加した。このため、第3曲のソプラノ2重唱から「Et in carnatus est」を削除したものが‘Variante zu 3’として追加されている。)
「第2部、第5曲、Crucifixus」(合唱)
ポンシオ・ピラトのもとにて、われらのために十字架につけられ
苦しみを受け、葬られ給えり。
「第2部、第6曲:Et resurrexit tertia die」(合唱)
聖書にありしごとく、三日目によみがえり、天に昇りて父の右に座し給う。
主は栄光のうちにふたたび来たり、生ける人と死せる人とを裁き給う。
主の国は終わることなし。
「第2部、第7曲:Et in Spiritum Sanctum」(バスソロ)
我は信ず、主なる聖霊・生命の与え主を、
聖霊は父と子よりいで、父と子と共に拝みあがめられ、
また預言者によりて語り給えり。
われは一・聖・公・使徒継承の教会を信じ、
「第2部、第8曲:Confiteor」(合唱)
罪の許しのためなる唯一の洗礼を認め、
「第2部、第9曲:Et expecto」(合唱)
死者のよみがえりと来世の生命とを待ち望む。アーメン。
B.感謝の祭儀(ユーカリスト)
B-1.奉納の儀
この「奉納の儀」から、ミサの最も重要な本体である「ユーカリスト」の部分に入る。今までの段階はいわば準備段階であって、初代教会ではこの部分までを求道者のミサとして、洗礼を受けていない者にも出席を許していた。
まずパン(実際にはホスチアと呼ばれる、まじりけのない小麦粉だけで作られたせんべいのようなもの)とぶどう酒が祭壇に奉納され、聖変化の祈りによってそれがキリストの体と血に変えられる。そしてそのパンとぶどう酒に預かることによって、キリストはミサに集まった信者一同とともにあり、また信者のひとりひとりもキリストの体に結ばれて時間と空間、生死さえも超越した共同体の交わりに入れられることを確認する式である。それはキリストの「最後の晩餐」の再現で、ユダヤ教が数千年来伝えてきた「過ぎ越し」の祭りの儀式的食事を引き継ぐものであり、古代の宗教でいけにえの動物を祭壇にささげて罪の許しと和解を神に祈った犠牲の奉献になぞらえた儀式でもあり、またすべての信徒が集められてキリストと共に宴席につく天上のうたげの予表でもある。したがって象徴が豊かに用いられ、神学的・教理的にも奥深い意味が込められている。
しかし実際には、改革前のローマ典礼においては司祭が一人でラテン語の長い祈りを唱え続けるだけで、一般の信徒はほとんど何が行われているか理解しがたい状況であった。そこで祈りの中の特に重要な箇所でベルを鳴らしたり、司祭が十字を切ったりひざまずいたりして、動作で祈りの内容を伝えようとしたが、その結果はますます儀式化するばかりで、一般信徒はミサから縁遠くなるばかりであった。
けれどもそのような旧典礼の中で、ミサと信者を結びつける唯一のきずなといえばそれは音楽であった。「ミサを拝聴する」といった表現が一般的になり、作曲家もミサの本儀を伝えようと全力を尽くした。以下、「聖歌隊が歌っている間に司祭が唱える」というような箇所が度々出てくるのはそのためである。
B-1-イ.奉納唱(Offeritorium) (固)(歌)
パンとぶどう酒がささげられるとき聖歌隊によって歌われる聖歌。このパンとぶどう酒は、十字架の上に身を捧げて我々のために罪の許しと和解の供え物となられたキリストの体と血に変えられるわけなので、この奉納は古代の宗教で神前にいけにえの動物を供えたときの儀礼に則っている。感謝の捧げものであるので、聖書から取られた賛美の句をテクストにした「奉納唱」を歌ってささげる。
B-1-ロ.奉納祈願(Susipe)(通)(司)
イの「奉納唱」が歌われている間に、司祭が唱える祈り。
B-1-ハ.密唱(Secreta) (固)(司)「奉納祈願」の結び
やはり、「奉納唱」が歌われている間に奉納終わったことを告げるために唱えられる祈りであるが、小さな声若しくは黙読されて聞こえないため「密唱」といわれる。
B-2.奉献文
B-2-イ.叙唱(Praefotio) (通)(司)
「密唱」が終わると司祭と参列者との間で「主は皆さんと共に」、「また司祭と共に」に始まる短い掛け合いのあとに、司祭は「プレファチオ」(叙唱)を朗読する。
ローマ典礼ではミサの種類に応じて15種の叙唱が定められており、季節ごとの典礼の特徴を述べる祈りとなっている。例えば、「復活祭の叙唱」、「聖霊降臨祭の叙唱」といったものである。
B-2-ロ.感謝の賛歌(Sanctus) (通)(歌)
上記のような力強い賛美への呼びかけに答え、天上の聖歌隊と声を合わせて歌い上げるのが「感謝の賛歌(Sanctus)」である。テクストの前半は、預言者イザヤがみた幻の中で天使たちが歌い交わしていた賛歌(イザヤ6:3)に基づいており、天地の創造者、支配者であって人類を造り、まもり、はぐくんで下さる神に感謝し、その威光を讃えて歌うものである。ミサを「拝聴」しているだけの一般信徒も、この賛美の大合唱に心の中で参加することが出来るよう注意を喚起するためのベルがここで鳴らされる。(「サンクトゥス・ベル」)
テクストの後半「オザンナ」とはヘブライ語の「ホシア・ナー(救い給え)」をラテン語化したもので、王に対する歓呼の言葉である。イエスがエルサレムに入場されたとき、熱狂した群衆が彼を迎えて口々に叫んだ。(ヨハネ12:13他)
次の「ベネディクトゥス(Benedictus)」前半のテクストも同じ箇所に出てくるが、もともとは詩篇118:26の句である。「主の御名によってくる人」とは詩篇では、感謝の供え物をもってエルサレムの神殿に上がってきた人のことであるが、群衆の歓呼では救いをもたらすために来られたイエス=キリストを意味すると共に、ここでは生け贄のパンとぶどう酒をキリストの体と血に変えるために、来られる聖霊をも意味している。
「第3部:Sanctus」(合唱)
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主。
主の栄光は天地に満つ。
(筆写注:「主の」原文はカトリックでは‘tua’(あなたの)であるが、バッハはプロテスタントの慣習に従って‘ejus’(彼の)に代えている。)
「第4部、第1曲:Osanna」(2重合唱)
天のいと高きところにホザンナ。
「第4部、第2曲:Benedictus」(テノール独唱)
ほむべきかな、主の御名によりて来る者。
「第4部、第3曲:Osanna」(2重合唱)
天のいと高きところにホザンナ。
B-2-ハ.典文(Canon)(固)(司)「叙唱」の結び
聖歌隊がベネディクトゥスを歌っている間に司祭が「典文」を唱え始める。この祈りは「カノン(ギリシャ語で「基準」の意味)」とも呼ばれ、ミサ中で最も大切な祈りである。キリストが十字架の上に身をささげて人類の救いのための生け贄となられたことを記念し、聖霊がこの場に臨んで供え物をキリストの体と血に変えて下さること(「聖変化」)を祈り求め、キリストの再来と死者の復活を待ち望む信仰を宣言するものである。従って、深い神学的意味と、豊かな象徴的イメージが含まれているのが、前にも述べたとおり長いラテン語の祈りであるから一般信徒には良く理解できない。そこで「ベネディクトゥス」が歌われているうちに小声で唱える。
けれども、理解できなくても大切なところだけはすぐそれと気がつくように、要所要所で声を高めたり、唱え方についてこまかな規定があった。ことに聖変化したパンとぶどう酒を、司祭が高くかかげて信徒に示す「聖体奉挙」は、改革前の典礼ではミサのクライマックスと考えられていたから、ベルを鳴らして注意が喚起された。
このような場で歌われる「ベネディクトゥス」であるので、この「奉献文」に込められた深い意義を表すため、しばしば神秘的な曲調に作曲される。「ベネディクトゥス」の後半には「オザンナ・・・」が再び繰り返される。
B-3.交わりの儀
B-3-イ.主の祈り(Pater noster)(通)(司)
「ベネディクトゥス」の聖歌が終わり、また「奉献文」も唱え終えられると、司祭は祈願を呼びかけ、「主の祈り」を唱える。「主の祈り」はイエス自身がこのように祈れと弟子たちに教えられた、すべての祈りの模範となるべき最も完全な祈りとされており(マタイ6:9〜13他)、信徒はすべからく暗唱すべきもの、礼拝においてはそのクライマックスとなるとなる箇所において唱えられるべきものとされている。本来、共同の食事から発展した「ミサ」であるので、そのクライマックスといえば、一同が生け贄のパンとぶどう酒を飲食する「聖体拝領」であった。そこでその直前であるこの箇所で「主の祈り」が唱えられる。
しかし中世以降聖体に対する行き過ぎた畏敬の念から、信徒の聖体拝領が次第に行われなくなり、聖体拝領は司祭だけ、信徒は司祭のかかげる聖体を仰ぎ見て崇敬するだけになった。従って、改革前の典礼では「主の祈り」を唱えるのも司祭だけ、会衆はそれに答唱するだけである。
B-3-ロ.平和の賛歌(Agnus dei) (通)(歌)
再び司祭と会衆の間に「主は皆さんと共に」の挨拶があった後で歌われるのが「Agnus Dei(神の子羊)」である。
生け贄のパンとして、今日ではホスチアと呼ばれる小さなせんべいのようなものが用いられているが、古代では一般の人々が日常食べているのと同じ普通のパンが用いられた。そしてそれを参加者全員が分け合って食べるので、人数分に切り分けるのも結構時間が掛かった。このため、グレゴリウスより約百年後の教皇セルギウス一世(在位687〜701)は、その間に「Agnus Dei」の聖歌を歌うことを命じた。テクストの最初の呼びかけ「神の子羊」は、ヨハネ1:36から取られており、キリストが「過ぎ越し」の祭りにささげられる、傷もシミもない子羊としてその身をささげ、人々のために平和と和解の供え物となられたことを歌う。
ここで「平和」が歌われるのは、古い時代にはこれから一つのパンを分け合って食べ、一つの杯から共に飲む、つまり日本的に言えば「同じ釜の飯を喰う」共同体の一致と、交わり(それはまた神の国における最終的平和と一致の先取りでもあります)を祝うためにここで一同が互いに「平和の接吻」を交わしたからである。(この習慣はミサの共同体性が見失われて個人主義的に理解されるようにつれ、行われなくなった。)
「死者のためのミサ」では、この平和の祈りの部分が死者の安息のための祈り「Dona eis requiem」に変えられているため、「Agnus Dei」本来の意味は幾分不明確なものになっている。
「第4部、第4曲:Agnus dei」(アルト独唱)
神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、
われらをあわれみ給え。
「第4部、第5曲:Dona nobis pacem」(合唱)
神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、
われらに平安を与え給え。
B-3-ハ.聖体拝領唱(Communio) (固)(歌)
ここでいよいよ「聖体」とされたパンとぶどう酒を飲食する「聖体拝領」の部になる。
「聖体拝領唱」は、初期には信徒一同が聖体拝領している間に歌われたものだが、「ローマ典礼」時代には、司祭が拝領前の祈りをし、パンとぶどう酒を飲食し拝領後の祈りをし、聖器を後片付けするという一連の動作の間に歌われた。
「聖体拝領唱」はふつう聖書の一節(特に詩篇)をそのままテクストして歌うが、「死者のためのミサ」の場合はここでも例外的に、「入祭唱」以来既に何度も繰り返されてきた死者の安息のための祈り「Lux aeterna luceat eas,Domine・・・(主よ、あなたは情け深くあられますから・・・)になっている。
B-3-ニ.聖体拝領祈願(Postcommunio)(固)(司)
初期の頃は「聖体拝領」が終わると後には何の儀式もなく、一同はすぐ散会したが、ミサが儀式化するにつれ閉会のための様々なセレモニーが付け加えられた。
まず「聖体拝領」が終わると司祭は「聖体拝領祈願」を唱える。これは「集会祈願」、「奉納祈願」とともに司祭が参列者全員の祈りを集約し、代表して唱える公式祈願である。祈りの文もそれらと同様、ミサの趣旨や記念する死者の身分によってそれぞれ定められている。
B-4.閉祭の儀
B-4-イ.終わりの唱和 (固)(司・歌)
最初に述べたように、最古の時代には「ユーカリスト」に参加できない未信者を帰らせるため「シナクシス」の終わりで、司会者が「Ite, missa est.(行け、解散である)」と宣言しました。この宣言に対して会衆が、「Deo gatias.(神に感謝)」と答える。
B-4-ロ.祝福(Benedicat)(通)(司)
「祝福」はミサの司式を終えたローマ教皇に会衆が祝福を求めたことから始まったと言われている。なお、「死者のためのミサ」では唱えらない。
B-4-ハ.ヨハネ福音書序文(In Principio)(通)(司)
「初めにことばがった・・・言葉は肉となって、私たちの間に宿られた。」(ヨハネ1:1〜14)という有名な「ヨハネ福音書序文」の朗読の方は、司会を終え祭壇を降りた司祭が、個人的な感謝の祈りとして唱えたことから始まったといわれている。
(Bass 百々 隆)
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