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プロテスタントの礼拝
 −ロ短調ミサの構成と絡めて−


 4月にはカトリックのミサの成り立ち、構成について紹介しましたが、今回はプロテスタントの礼拝の構成について書いてみます。
 《ロ短調ミサ曲》はカトリック教会のミサ様式に沿って作曲されているので、《ロ短調ミサ曲》を演奏する上ではプロテスタントの礼拝様式は直接関係しませんが、バッハがその人生を捧げたプロテスタントの教会ではどのような形で礼拝が進められていたのかを知っておくのもいいと思います。
 そして、是非このテーマで書いてみたいと思ったのは、このことを調べていくうちに、《ロ短調ミサ曲》がカトリックのミサ典礼文に拠りながら、その構成が、カトリックの場合の5部構成、即ち、〈Kyrie〉、〈Gloria〉、〈Credo〉、〈SanctusとBenedictus〉、〈Agnus Dei〉と異なり、4部構成、即ち、第1部(〈Kyrie〉と〈Gloria〉)、第2部(Symbolium Nycenum=Credo)、第3部(Sanctus)、第4部(〈Osanna〉、〈Benedictus〉、〈Osanna〉、〈Agnus Dei〉)となっているのは、典礼の構成に結びついていることが理解できたからです。
 プロテスタントの礼拝様式としては、時代と場所でかなり差異があるようですが、ここではバッハの時代、ライプツィッヒで行われていたとされている様式を紹介し、ミサ曲ロ短調の構成との関係を考察してみたいと思います。プロテスタントの礼拝様式を定めた規範を「典礼儀式書(Agende)」と呼んでおり、バッハがライプツィッヒで活躍した頃に使われていたものは、16世紀前半にザクセン大侯ハインリヒ(1473〜1541)により制定された「大侯ハインリヒの典礼儀式書」を基礎とし、その後の改訂を経て1580年にザクセン選帝侯アウグスト(1526〜1586)の教会規定・学校規定に採用されたものといわれています。この典礼儀式書では、ローマ・カトリックから受け継がれたミサ通常文の伝統との調和が保たれていると言われています。


1.礼拝の比較
 ミサがキリストの最後の晩餐の再現であることについてはプロテスタントも同じである。大きな差は、カトリックでは、教会暦に従った固有文はあるものの、一連のほぼ定められた様式に則って進められて、キリストの血と肉と言われる聖体拝領にそのクライマックスが置かれているのに対し、プロテスタントではミサの中心が、会衆自身の歌による信仰告白とそれに続く牧師の説教に置かれていることであろう。
 音楽的な面から見れば、20世紀なかばまではカトリックのミサは原則ラテン語で称えられまたは歌われていたのに対し、プロテスタントでは原則母国語で話され歌われたと言うことである。
 添付の表は誤解を恐れず、形式から見てカトリックとプロテスタントの礼拝をならべてみたものである。以下はプロテスタントの区分に沿って比較してみる。

(1) 第1部
 ミサの開式から、Gloriaが終わって、特別祈祷(プロテスタント)、集会祈祷(カトリック)までは良く似ているといわれており、プロテスタントの儀式がカトリックの伝統を取り入れている部分である。
順番に見てみると、カトリックで入祭頌が歌われるところではプロテスタントではモテットが歌われる。
〈Kyrie〉と〈Gloria〉は同じようにラテン語で歌われる。〈《ロ短調ミサ曲》〉ではバッハが、ごく一部の歌詞をルターのドイツ語訳の典文に合わせて変えているが、普通はカトリックで用いられる典礼文と相違は無かった。
 集会祈祷(カトリック)や特別祈祷(プロテスタント)は類似している。

(2) 第2部
 次の使徒書を読むところから宗教改革の特徴が現れて、典礼の様式のみならず内容そのものが変わってくると言われている。
まず、その日の教会暦に相応しい音楽が歌われて、関連する福音書が読まれることになるが、その歌の部分は、カトリックでは続唱と呼ばれる固有文が通常のミサでは司祭によりグレゴリオ聖歌で称えられるのにたいし、プロテスタントではその日に相応しい賛美歌が歌われる。
 続く信仰宣言が顕著に異なっており、両派の本質を表す一つと考えられている。カトリックでは、二ケア信経と呼ばれる長大な歌詞の典礼文(Credo)が歌われる。これに対してプロテスタントでは通常のミサでは、Credo in unum Deumだけが会衆により歌われ、続いてはその日の教会暦に合わせたカンタータが演奏される。バッハがライプツィッヒ時代の最初の数年間で300曲を揃えたと言われるカンタータはこのようなタイミングで演奏されたのである。そして、カンタータに続いて会衆により母国語で信仰告白が歌われる。そしてこの信仰告白こそがミサの中で不動の地位を占める重要な要素だと言われている。
 信仰告白の内容はカトリックと似たところもあるが、素人が見ただけでも、キリストが再臨して最後の審判を下すとか、唯一の洗礼を信じるとか、聖・公・一にして使徒伝承の教会を信じるというような教会の権威を称えるような部分は見られない。
 そして次の段階として、カトリックではユーカリスト(感謝の祭儀)と呼ばれる段階に進むが、一方、プロテスタントでは牧師による説教が中心となる。
 カトリックの奉納唱は、ラテン語で称えられる他、モーツァルトも何曲か書いているように合唱曲や歌曲に作曲されているものも数多くある。プロテスタントでも牧師の説教に先立ってその日の教会暦に相応しい賛美歌が歌われる。プロテスタントではこれに続く説教、共同の懺悔と執り成しが非常に重要視されている。

(3) 第3部
 そして、カトリックではミサのクライマックスとも言える、聖変化と聖体拝領に移っていく。プロテスタントではここからミサは第3部に進むと考えられている。
 カトリックでは短い導入の言葉に続いて、感謝の賛歌(Sanctus)が歌われる。プロテスタントの場合は、祝祭期の大規模なミサの場合にのみ歌われる。いずれもラテン語で歌われるが、大きな違いがあるのは、カトリックでは、Sanctus−Hosanna−Benedictus−Hosannaという構成になるのに対し、プロテスタントでは歌われる場合でもSanctusだけでHosanna以下は含まれていないことである。カトリックでは、この賛歌が歌われている間に単なるパンとぶどう酒であったものがキリストの肉と血に変わるとされている。プロテスタントでは「聖餐設定の言葉」というのが牧師により唱えられる。パンとぶどう酒がキリストの肉と血に変わったしるしとして鐘(サンクトゥス・ベル)が鳴らされるのは共通である。
 その後、いずれの場合も主の祈り(天にまします我らの父よ、……)が称えられる。カトリックでは続いてAgnus Deiが歌われるが、プロテスタントでは大きなミサではここで再びカンタータが歌われる。バッハの教会カンタータのうち幾つかは2部構成になっているが、それはこう言うところから来ているものである。もともとAgnus Deiはパンを切り分けている間、会衆に歌わせたところから来ている。
 ここで漸く聖体拝領、即ち、会衆の一人一人がビスケットのようなパンとぶどう酒を司祭または助祭(カトリック)、牧師(プロテスタント)から受けて、キリストと一体となるわけで、その際にカトリックでは聖体拝領唱、プロテスタントでは聖体拝領の賛美歌が歌われる。
 会衆の全員が聖体拝領を受けた後、結びの言葉と祝福が与えられてミサは終了する。

2.《ロ短調ミサ曲》の構成との関係
(1) 第1部
 KyrieとGloriaであり、先に述べたようにカトリックと同じ典礼文がプロテスタントでも用いられていた部分である。
 バッハはライプツィッヒに着任する以前の若い時にも礼拝用の音楽の作曲が職務となった時期があるが、その時にはKyrie、Gloriaには作曲せず、他の作曲家の作品を転用していたようである。ライプツィッヒに着任後10年ほどして、教会カンタータに新しい作品が見られなくなる頃からラテン語に作曲することが増え始める。
 《ロ短調ミサ曲》のKyrieとGloriaは、1733年にドレスデンの選定侯に献呈されたことは良く知られているが、この時は実用音楽と言うよりは、ライプツィッヒでの市参事会等との確執で自らの地位を高めるためにドレスデン宮廷にも地位を得たいと言う狙いがあったというのが定説である。しかし、このことが一つのきっかけになったのか、或いはラテン語の典礼文に作曲することによって自らの作品を恒久的に残していくことを目指したのか、1730年代の後半に同じようにKyrieとGloriaに作曲したミサブレヴィスが4曲残っている。(前にも書いたが、モーツァルト等の場合のミサブレヴィスは単に演奏時間が“短い”ものだが、バッハの場合はKyrieとGloriaだけのものをミサブレヴィスと呼んでいる。)なお、4曲ともほとんどが以前に作曲した教会カンタータのパロディーである。

(2) 第2部
 この部分はカトリックで〈Credo〉に当たる部分であるが、プロテスタントでは教会カンタータが演奏されるため、バッハは《ロ短調ミサ曲》以外には作曲したことは無く、最晩年に作曲されたものである。なお、ここでも教会カンタータからのパロディーが多いのは既に紹介したとおりである。
 また、タイトルが何故〈Credo〉ではなく、〈Symborum Nicenum〉となっているのか、面白いテーマだと思うが筆者は不勉強で紹介できずお許し願いたい。カトリックの〈Credo〉の典礼文は4世紀に開かれたニケアとコンスタンチノーブルの宗教会議において認められた教義に拠っているのだが、バッハは、何かこのことに非常なこだわりがあったのであろうか。あるいは、プロテスタントにとって信仰告白といえば既に述べた「ドイツ語信仰告白」が定着しており、それではなく、二ケア信経に基づくものだと強調したかったのかもしれない。

(3) 第3部
 これは〈Sanctus〉だけではあるが、ラテン語の典礼文がそのまま用いられている。バッハは他の作曲家のものを編曲したものが3曲、オリジナルが1曲残っており、ロ短調ミサの〈Sanctus〉を含めて5曲が残っていることになる。《ロ短調ミサ曲》の〈Sanctus〉は1724年のクリスマス用に書かれたもので、この時期は毎週のように礼拝用のカンタータを作曲していた時期なので、この曲も礼拝用の実用音楽として作曲されたものである。

(4) 第4部
 第3部までに述べたことで、《ロ短調ミサ曲》の構成もミサ曲の構成に対応して作曲されていることがご理解いただけたかと思う。
 では第4部は何かとなると、プロテスタントでは歌われない部分を集めたものと言える。
この部分はプロテスタントの礼拝では用いられることが無かったので、当然のことながら《ロ短調ミサ曲》で書かれたのが初めてである。ただし、ここでも過去の教会カンタータからのパロディーが4曲中3曲を占めている。
 普通はSanctusに間を置くことなく続けられるHosannaが別の部に分類されている点は通常のミサ曲を聞きなれたものにとって奇異な感も受けるが、バッハが最終的に1曲の通作ミサとしてまとめる際にも敢えて引っ付けることをしなかったことは演奏の際にも考慮すべきなのかも知れない。
 ところで、バッハが、通常文ではHosannaであるところを、頭の‘H’を省略して、Osannaとしたのか、一寸調べてみたところでは解らなかった。勝手な推定だが、イタリア系やカトリック教会の伝統的な発音では‘H’は発音されなかったので、ドイツ人が歌っても‘H’の音が入らないようなことを考えたのであろうか。
(Bass 百々 隆)
参考文献
  1. 「レクイエムハンドブック」 高橋正平著、1994年、(株)ショパン
  2. 「音楽史の中のミサ曲」 相良憲昭著、1993年、音楽の友社
  3. 「ミサ曲ラテン語・教会音楽ハンドブック」 三ヶ尻正著、2001年、(株)ショパン
  4. 「バッハ=カンタータの世界。」 クリストフ・ヴォルフ他、2002年、東京書籍
  5. 「宗教改革記念日の礼拝式復元演奏会プログラム」 1998年 同志社大学神学部他
    (1736年10月31日の宗教改革記念日の礼拝式を復元した形で1998年11月に本山秀毅先生の指揮で行われた演奏会。なお、この時のベースソロは今回歌っていただく片桐直樹先生。)

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