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《ヨハネ受難曲》の物語



前書き
 練習が佳境に入り、指揮者からは合唱が歌う部分だけではなく、物語の流れを理解しながら歌うようにとの要求が出てきていますが、歌詞の対訳を楽譜に書き込むとともに、物語の流れがザッと読めるような資料も有用かと思い、纏めてみることにしました。また、この資料をベースに演奏会でお客様に読んでいただくプログラムに掲載する粗筋紹介の資料も作成したいと思っています。

I. ヨハネ受難曲の特色
 ヨハネ受難曲の成立は、このシリーズの「バッハの受難曲とヨハネ受難曲の変遷」でも御紹介しましたが、バッハがライプツィッヒのトマス教会のカントールとして着任して最初に聖週間を迎えた1724年で、その後何度か演奏の度に手が加えられました。少なくとも3回の改訂の様子が明らかになっています。
 バッハの受難曲は、このシリーズの第2回目に「受難曲の歴史」でご紹介した流れから言えば、「オラトリオ風受難曲」に分類されるものです。即ち、2〜3人の配役と群集役の合唱が聖書の言葉を歌うと言うよりは語っていく中で、随所に、自由詩によるアリアや、その当時広く知られていた賛美歌に基づくコラールが散りばめられている形式です。
 ヨハネ受難曲は、その名の通り、新約聖書のヨハネ福音書に沿って作曲されています。オラトリオ風受難曲の例に従って、聖書の言葉は福音史家やイエス役によるレチタティーヴォと群衆役の合唱で語られますがが、全ての言葉がヨハネ福音書から採られているわけではなく、2ヶ所についてはマタイ福音書から取られています。その他の、アリアや冒頭合唱、第39曲の長大な合唱曲は自由詩によっており、コラールは当時教会で歌われていた讃美歌から採られています。しかし、これらの歌詞を誰が書いたのかは明らかになっておらず、バッハ自身が纏めたのではないかとの見方もありますが、確たることは判っていません。
 バッハにはもう1曲《マタイ受難曲》という大作があり、曲の特徴を語る場合、何かと比較して論じられます。内容について比較考証することは筆者の手に余りますので、鈴木雅明さんの著書から引用させてもらいます。
 氏によれば、この2曲の受難曲は対照的な性格をもっており、《マタイ受難曲》は瞑想的なアリアを中心に展開し、初めから終わりまで自らの罪とその悔い改めがテーマになっているのに対し、《ヨハネ受難曲》は冒頭合唱から「その栄光は全地に輝いている」という宣言から始まります。また、《ヨハネ受難曲》冒頭合唱に現われる「大いなる低みに達した時さえ賛美された」という言葉は、《ヨハネ受難曲》を貫くパラドックスを提示するものとされています。
 また、イエスの最期の場面では、《マタイ受難曲》では、「我が神、我が神、何故私を見捨て賜うたのですか」という悲痛な叫びになっているのに対し、《ヨハネ受難曲》では、「果たされました」と言って事切れるのと好対照をなしています。つまり、ヨハネ福音書では、十字架が神の計画の成就の証として捉えられています。これは、バッハ自身の考えで音楽的にこのように作曲されたのではなく、元々福音書が持つ特徴と言われています。即ち、現存する4つの福音書のうち、マタイ、マルコ、ルカ福音書は共感福音書といわれるように共通した情報源をベースに持っているといわれているのに対し、ヨハネ福音書は全く別の情報源に拠っていると言われていることとも繋がります。
 音楽の構成的にみますと、《マタイ受難曲》がイエスの幾つかの奇跡が語られた後、最期の晩餐やゲッセマの園での苦悩と祈りという場面が含まれているのに対し、《ヨハネ受難曲》は曲が始まるとともにいきなりイエスの捕縛の場面が登場します。このため、聞くものにとっては《ヨハネ受難曲》の方が緊張度が高いと言えるかもしれません。
 また、合唱が占める割合が高いことが《ヨハネ受難曲》の特徴になっています。上にも書きましたが、この合唱の持つ役割は、聖書の言葉が語られる部分では、群集の役割を持ち、そのテンポの速い対位法的な歌声は、最早ピラトには抑制の効かない興奮した状況を醸し出し、コラールは一転してこの場面を聞いている会衆の心に自然と湧き出してくる信仰心の発露になっています。オラトリオ風受難曲でコラールを福音書の言葉のどこに挟みこむかは作曲家のセンスにかかっており、バッハのそれは他者にはマネの出来ない独壇場だという評価があります。
 第2部が始まってから、イエスの埋葬に至るまでの一連のドラマは、《マタイ受難曲》でも同じような流れに沿っていくわけですが、アリアが少なく、福音史家−イエス−ピラト−群集の掛け合いを中心として進んでいく《ヨハネ受難曲》の方が密度といった点ではより濃いものになっているように思います。勿論、この辺りは指揮者のテンポ設定、曲間の間合いの取り方によって大きく変わってきますが、比較的新しい録音を聞いていると息継ぐ間も与えず展開していく演奏が多いようです。

 以下、曲の順番に沿って曲の流れを概説しますが、《ヨハネ受難曲》は幾度か書いているように「オラトリオ風受難曲」と言われる形式ですので、レチタティーヴォで語られる内容を追えば、物語を追うことが可能です。以下の記述では、レチタティーヴォの部分を太字の斜体とし、さらにそれ以外の部分は少しずらして、みつけやすくしたつもりです。レチタティーヴォの部分だけを拾って通読していただければ、物語の流れが解りやすいのではないかと思います。

II.ヨハネ受難曲の物語
1. 第一部
  1. 冒頭合唱(第1曲)
     雄大なスケールの聖書の言葉によらない自由詩による4部合唱曲で、ダ・カーポ形式をとっています。
     神の栄光が全地におよぶこの合唱曲のうちに、受難を神の救いの御業の完成ととらえる基本的なヨハネ福音書の態度が示されています。

  2. 《イエスの捕縛》(第2曲〜第7曲)
     福音書が初めて登場すると同時にイエスが捕縛される場面に突入します。
     ゲデロン川のほとりの園にイエスが弟子たちと入っていくと、武装した兵士を導いてユダも登場し、対峙します。ここで、イエスは自らユダ達に「誰を捜しているのか」と尋ね、自ら「お前たちが探しているナザレのイエスはこの私だ。だから、他の者は行かせてやれ。」と名乗り出ます(第2曲)。
     ここで、コラールが、自らの運命を知りながら身を奉げようとするイエスを「大いなる愛」と称えます(第3曲)。
     再び、対峙の場面に戻り、ペテロがイエスを守ろうとして、兵士の一人に切りつけ、右耳を落としますが、イエスは「父が与えた杯(自らに降りかかる受難)を受けないことがあろうか。」とペテロを諫め、剣を納めさせます(第4曲)。
     再びコラールが登場し、天におけると同じように地上でも神の御心が実現されるよう祈ります。このコラールはルターによる「天にまします我らの父よ」によるものです(第5曲)。
     ゲデロン川の畔で捕縛されたイエスは、ユダヤ教の指導者の一人、アンナスのところに連れて行かれます。アンナスの叔父はかつて「誰かが民に代って殺されるのは好ましい。」と言ったことが紹介され、イエスが殺されることが予言されます(第6曲)。
     ここでアルトのアリアが、「イエスの捕縛が、われわれを罪の縛りから解放する。」と歌います。この曲の他、随所に登場するアリアも、聖書の言葉にはない自由詩によるものです(第7曲)。

  3. 《ペトロの否認》(第8曲〜第14曲)
     ここからは、バッハが敢えてマタイ福音書から取り入れた場面が巧妙にちりばめられていきます。
     ペトロともう一人の弟子(大祭司の知人)がイエスに着いて行きます(第8曲)。
     この「着いて行く。」ことが次のソプラノのアリアを導き出す役割を果たし、第9曲のアリアは、会衆の立場で、「我々もイエスに従っていこう。」と歌い、主に従う者の喜ばしい足取りを表すかのような軽快かつ愛らしい曲になっています。
     ペトロはイエスと離れ、門の外で待っていましたが、呼び入れられて門を入ろうとした時、下女に「あなたもあの人の弟子の一人でしょう。」と見咎められ、咄嗟に「違う」と言ってしまいます。
     門の中では、大祭司がイエスに向って、その教えのことや弟子のことを問いただしますが、イエスは「私は、いつもユダヤ人が集まる会堂や神殿で堂々と語ってきた。私が言ったことを聴きたいなら、聴いた者たちに聞け。」と突っぱねます。これを聞いた大祭司の従者が、「大祭司に向ってなんと言う口の利き方をするのか。」とイエスの頬に平手打ちを食らわせます。 それでもイエスは「私が言っていることのどこが間違っているのか言え、それができないなら何故私を打つのか。」と姿勢を崩しません(第10曲)。

     ここで、この情景を目の前で見て、心を動かされたかのように、コラールが登場します。即ち、「イエスは私たちや私たちの子供のような罪人ではなく、まったく見に覚えがないことなのだ。私たちの罪こそが貴方を苦しい目にあわせているのだ。」という内省的な内容を歌います(第11曲)。
     尋問の場に戻りますが、ハンナはイエスを縛って大祭司の所に送る手はずを整えます。一方、ユダヤ人たちと一緒に暖をとっていたペトロは再び、今度は群集から「お前はあの男の仲間だろう。」と詰め寄られますが、再び否定します。
     今度は、大祭司の手下の一人が、「お前があの男と一緒にいるのをみたが?」と詰め寄ります。ペトロは三度否定しますが、その直後に鶏の鳴き声がし、ペトロはイエスの言葉を思い出して、激しく泣きます(第12曲)。

     ペトロが泣くのには伏線があり、最後の晩餐の後、オリーブ山に向う際に、イエスはペトロに対して「今夜、鶏が泣く前におまえは三度私のことを否定するだろう」と予言したのに対し、ペトロは「たとえあなたと共に死ぬことになろうとも否定等しません。」と言い切っているのです。しかし、いざ、自分の身に災いが及ぶ現場に立つと保身に走ってしまう人間の弱さが見事に描き出されている場面です。マタイ受難曲では、この晩餐会後のイエスと弟子たちのやり取りが描かれていますが、ヨハネ受難曲には、この部分は取り入れられていません。
     曲はここでペトロのやり場のない悲嘆を描いたテノールのアリアが歌われます(第13曲)。
     ペトロのこのような態度は信者にとってもいつ現れてもおかしくない状況であり、信者の心にも悔い改めない時、悪事を行うときには良心を揺さぶって下さいとイエスに呼びかける会衆のコラールが歌われ、第1部の幕を閉じます(第14曲)。
(説教)
実際の礼拝では、ここで音楽の演奏は中断し、説教が行われます。



2. 第二部
  1. コラール(第15曲)
     第2部は冒頭から「悪事を働いたことのないイエスが、私たちの身代わりとして、盗人のように拘引され、嘲笑、侮辱されるのはまさに聖書に書かれている通りである。」というコラールで始まり、イエスを巡る切迫した状況を伝えます。

  2. 《ピラトの尋問》(第16曲〜第20曲)
     場面は夜明けの総督官邸に移ります。総督ピラトとユダヤ人達との間で、「何故この男を訴えるのか。」、「罪人でなければ訴えたりしない。」、「ではお前たちの律法で裁けばよいではないか。」、「私達には人を殺す権限がない。」とのやり取りが行われ、ユダヤ人たちはイエスを死刑にすることを求めていることが明らかになります。(ローマ統治下のユダヤでは自治が認められていましたが死刑だけはローマ総督の許可が必要だったことの現われです。)
     ピラトは邸内にいるイエスに「お前はユダヤ人の王なのか、お前は一体何をしたのだ?」と問いますが、イエスはピラトの統治する現実の世界を相手にせず、「自分の理想とする国はここにはない。」と言い放ちます。(第16曲)
     ここでコラールが「あらゆる時代に偉大なる王よ、」と歌い始め、イエスの愛の偉大さを讃えます(第17曲)。
     ピラトとイエスの対峙が続きます。イエスは自ら王だと名乗り、「真理を示すためにこの世に生まれてきた。」と述べます。これを聞いてピラトは、「真理とは何か。」と聞きながらも、群集に向って、「彼に罪は見出せない。(過ぎ越しの祭りの時には)罪人を一人釈放するのが習慣で、お前たちが望むならイエスを釈放するが。」と問いかけますが、群集は「そいつではなくバラバを!」と叫びます。このため、ピラトはイエスを鞭打ちます(第18曲)。
     バラバは殺人者であり、イエスが殺人者と比べられることが一層痛切感を高めるような曲想が展開します。 ここで、バスのアリオーソが入り、残虐さの中に突如、甘美な幻想が花開く、苦しさの中に喜びがあるという、パラドックス的な心情が、切々と歌われます(第19曲)。
     この流れはテノールのソロに引き継がれ、拷問で鞭打たれて背中から流れ出る血の中に天の姿が映し出され、神の恩寵の徴として虹が現れる様を思い浮かべよ、という深遠な言葉が歌われます(第20曲)。

  3. 《判決》(第21曲〜第24曲)
     再び裁きの場に戻り、緊迫の度が益々高まります。 兵士たちは、イエスに茨の冠を被せ、紫の衣を着せ、「ユダヤ人の王様、御機嫌よう!」と嘲笑し、平手打ちを食わせます。しかし、ピラトはイエスに罪を見いだせず、民衆に伝えます。これを聞いた民衆は激昂して「十字架につけろ!」と叫び続けます。
     ここに至ってピラトは総督としての責任を放棄して「連れて行って勝手に十字架につければ言い。」といってしまいます。民衆は我が意を得たかのように「我々の律法では、彼は自らを神の子と称したのだから死刑に値するのだ。」と叫びます。
     ピラトは恐ろしくなって、再びイエスに、「お前はどこから来たのか?」と問い、答えないイエスに対して、「私が、お前の生殺与奪の権を握っているのが分かっているのか?」と問い詰めますが、イエスは、「お前の権限は天から与えられたものでないから、私に対しては何の権限もない、だから、私をお前に引き渡した者の罪は重い。」と言い切ります。
     ピラトはこのあとイエスを解き放とうと努めます(以上第21曲)。

     このような緊迫した受け答えを受け、ここで、ヨハネ受難曲の中心テーマと言われているコラールが歌われます。「イエスが捕らわれたことで我々に自由がもたらされ」、「イエスの牢獄は信仰深い人の隠れ家」、「イエスが隷従の身を受け入れたことで我々は永遠に続いたかもしれない隷従から解き放たれた」と、イエスと我々を両極において、受難の理念を集約した歌詞になっており、福音書の中でも特にヨハネ福音書に顕著に表れているといわれるパラドックス(逆説)的表現になっています(第22曲)。
     再び、場面は戻り、ピラトがイエスを解き放とうとしていることに対して、民衆は「自らを王と称する者を解き放つことは、皇帝を裏切ることになると威圧します。事ここに至ってピラトはイエスの解放を断念し、イエスを外に連れ出して裁きの場につきます。時は、過ぎ越しの祭りの準備の日の昼頃になっていました。
     ピラトが民衆にイエスを曝した途端、民衆からは「殺せ、消してしまえ、十字架につけろ。」の声。ピラトは念を押すかのように「お前たちの王を十字架につけて良いのか。」と聞きますが、祭司長達は「皇帝以外に王はない。」と答えます。
     ついにピラトはイエスをユダヤ人達に引き渡しますが、それは十字架につけることを認めることを意味していました。
     ユダヤ人達は、イエス自らに十字架を背負わせ、ゴルゴタ(されこうべの場所の意味)の丘に向かいます(以上第23曲)。

     ここで、難曲のベースのアリアが登場します。悩める魂に、「急げ、飛びゆけ、そこで幸せが花咲くのだ」と呼びかけます。そのアリアに対して、合唱が「何処へ?」と問いかけ、そろが「ゴルゴタの丘へ」と応じます。

    【以上で、イエスの裁きは終わり、次の十字架に架かる場面に移っていきます。】

  4. 《はりつけ》(第25曲〜第29曲冒頭2行)
     イエスを中央に、その他の罪人2人を両側に合わせて3本の十字架が立てられます。
     イエスの十字架にはピラトの書いた「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」という罪状が掲げられますが、祭司長達は、「そうではなく、私がユダヤ人の王と騙ったと書け。」と迫ります。ここではピラトは決然と「私が書いたとおりである。」と退けます(第25曲)。

     ここで、コラールが挿入され、十字架にかかったイエスの姿が、常に心の奥底にあり、その姿を頼みとし、慰めとする心情が歌われます(第26曲)。
     再び、ゴルゴタの丘に戻ります。当時の習慣でしょうか、まるで役得かでもあるかのように、兵士達がイエスの衣類を剥がし、分け合います。下着は引き裂いて分けようとしますが、縫い目がないため、籤引きでだれが取るかを決めます。
     このあたり、瑣末な話のようにも思えますが、如何にイエスが屈辱的な扱いを受けたかを強く印象付ける効果を与えているフレーズといえましょう。
     イエスは苦しい息の中から、十字架の傍に立つ母に対して「彼があなたの息子です。」、弟子(ヨハネ)に対して「この人があなたの母です。」と自分の死後、母親の世話をそのヨハネに託します(第27曲)。
     この様をみて、会衆のコラールが挿入されます。
     最後まで母を気遣うイエスの思いやりに思いを馳せ、悩みを持たず安らかに死を迎えるべきだと説きます(第28曲)。
     弟子が母を自分のもとへ引き取りました(第29曲2行目まで)。

  5. 《イエスの死》(第29曲第3行〜第37曲)
     イエスは全てが成し遂げられたことを知り、聖書の預言が成就されるために「渇く!」と言います。このため、すっぱいぶどう酒を海綿に浸し、イエスの口元に持っていきます。これを受けたイエスは、「果たされました」と言葉を発します(第29曲3行目から)。
     このあたりのイエスの最後の場面は、ヨハネ福音書の特徴的な考え方でしょう。即ち、イエスの受難はすべて聖書の預言の実現であるという考え方です。
     ここで、アルトのアリアが登場し、「果たされました」というイエスの言葉を受け取るかのように、ユダから出た勇士(イエスのこと)勝利し、悲しみの夜は終わりを向えますと歌います。
     再び福音史家が登場し、「首を垂れ、息を引きとった。」と最後の瞬間を迎えたことを告げます(第31曲)。
     この瞬間を受けて、コラールを伴ったバスのアリアが歌われます。ここで、バスのアリアは、「私の愛しい救い主よ、問わせて下さい。あなたの苦しみと死によってすべての世の救いが実現したのでしょうか。あなたは無言のうちに首を垂れ、そうだと言ってくれました。」とイエスの受難の意味を集大成します。一方、背景を流れるコラールは「あなたは永遠に生きています、私の罪を贖ってくれたあなた以外のところには目をむけません。」と強い信仰の気持ちを歌い上げます(第32曲)。
     ここで、マタイ福音書からの場面が挿入されます。即ち、神殿の幕が裂け、大地が震え、墓が開いて多くの成人が生き返ります(第33曲)。
     この情景を補足するかのようにテノールソロがアリオーソで、「わが心よ、イエスの受難により全世界が悲しんでいる時、何をしようとしているのか。」(第34曲)と問いかけ、それに応えるようにソプラノのアリアが、「至高者の栄光のためにあふれ出る涙の中に流れ出なさい。」と歌います。このアリアは涙が流れ出るかの音形の中に救済を包み込んでいると言われています(第35曲)。
     ここで、聖書の言葉に戻り、イエスを十字架から降ろすためのやり取りが語られます。当時の十字架刑の際は、絶命を確実なものにするために足の骨を折る習慣があったようですが、イエスが既に死んでいるように見えたので兵士たちは足を折りませんでした。しかし、一人が脇腹を槍で突くと聖書の予言どおり、血と水が流れ出ました(第36曲)。
     コラールが介入し、すべての悪を避けられるように、いかなる時にもイエスの犠牲の意味を忘れず、感謝の捧げものを贈れるように力を貸して下さいと呼びかけます(第37曲)。

  6. 《埋葬》(第38曲〜第40曲)
     遺体は十字架から降ろされ、弟子たちによって、香料とともに亜麻布に包まれて、そばにあった新しい墓に納められて、ヨハネ福音書に基づく受難の物語は幕を閉じます(第38曲)。
     ここで長大なダカーポ形式をもつ合唱曲が登場し、イエスが安らかに眠ることを祈ると同時に、私にも安息を与えてくださいと呼びかけます。そして、この墓が天の扉を開き、地獄への道をふさいでくれると歌います(第39曲)。
     マタイ受難曲は第39曲のような雰囲気で終わるのですが、ヨハネ受難曲ではさらにコラールが登場し、「最期の時には私の魂をアブラハムの膝の上に運ばせ、最期の審判の日まで安らかに眠らせて下さい。その日には眠りから覚ましてイエスの姿を目にできるようにして下さい」と強く祈ります。そして、この長大な受難曲の最後の最後に、確信を持って、「私は貴方を永遠に褒め称えます!」と言い切って曲を閉じます(第40曲)。
     この部分のソプラノメロディーは音の高さが3種類しかない非常にシンプルなものですが、それだけに余計、確信の程が浮かび上がってくるような気がします。心底からこう叫べる信仰をもてるということは幸せなのだろうなとも思います。


【少し余談】
 欧米に行けば、教会ばかりではなく、多くの美術館にゴルゴタに向かうあたりから、十字架上の貼り付け、十字架からの降下、埋葬等一連の受難に関する名画が多く見られるのはご承知の通りですが、キリスト教徒にとっては、こういう場面を見ながら生活するということが、自然なことだったのだろうと思います。ただ、先ほどある美術館で見た絵は、イエスを十字架に固定するのに滑車を使って両手、両足を引っ張っているのがあり、さすがにこれはやりすぎではないかと思います。
 また、別の合唱団で、スターバト・マーテルを歌っているのですが、スターバト・マーテルは、一言で言うと、十字架に架かった自分の息子を見て嘆き悲しむ、母マリアの様を歌い、我々も一緒に悲しませて下さいというような内容で、受難曲のクライマックス場面を母マリアに焦点を当てて描いたような内容になっており、いつも像が二重写しのような気がしながら歌っています。。
(Bass 百々 隆)
参考文献
  1. 「バッハからの贈り物」 鈴木雅明、2002年、(株)春秋社
  2. 「宗教音楽対訳集成」 井形ちづる、吉村恒、2007年、(株)図書刊行会
  3. 「バッハ事典」 磯山雅他編、1996年、東京書籍
  4. 「名曲解説ライブラリー J.S.バッハ」 音楽の友社編、1993年、(株)音楽の友社
  5. ポケットスコア「ヨハネ受難曲」 1978年、(株)音楽の友社
  6. 「対訳 J.S.バッハ声楽全集」 若林敦盛、2007年、(株)慧文社

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