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バッハ時代の演奏習慣


 今回もまた大げさなタイトルを掲げましたが、楽譜に書かれている記号が今と同じ意味で演奏されていたかというような点を中心に幾つか雑学的に書いてみたいと思います。

1. フェルマータ
 フェルマータは古典派以降の音楽では音を延ばす事を意味し、ロマン派では任意に、現在の日本の音楽教育で文部科学省の定める標準は、フェルマータが付けられた音符の2倍の長さに延ばすと教えられている。
 ところが、バッハの時代のフェルマータはかなり違った意味をもっており、元の音符の長さより延ばすという以外にも意味をもっている。即ち、フレーズの終わりを示すということである。特にカンタータや受難曲の四声コラールに使用されるフェルマータは単にコラールの歌詞の各行の終止を意味したという考え方が強い。
 フェルマータにはその記号が使われだした頃からすでに二重の意味があり、ひとつには休止もしくは随意の長さの延長であり、もうひとつには区切れもしくは終止の意味がある。
 フェルマータによってコラールの各行末の区切れを明確に示す理由は、定量記譜法が使われていた時代、即ち16世紀頃までは、スコアが存在せず、パート譜を並列して全体の流れを示すのが普通であったため、フェルマータが各パートの一致点の目印として記入されたのである。つまり歌い手が互いに、自分の歌っている箇所と他人の簡所を素早く比較できるようにするための措置であった。
 また、フェルマータが区切りを示す例として、コラール旋律をテーマとするオルガン曲でフェルマータが、コラールのメロディーであるソプラノの声部にのみつけられているという例があげられている。当該の音符を任意に延長すると、他の声部にはフェルマータがないことからアンサンブルがくずれるので、歌詞の行末以外の意味は考えられない。それに対しこの曲でも、最終小節のフェルマータは通常の機能を果たしており、他の声部につけられることもある。つまり最終小節では、任意に延長してよいのである。
 4声コラールの場合、実際の演奏技術のうえでも、フェルマータを延長するのは難しい。延長した場合、次の音からまた改めて指揮者に合わせて開始することになり、乱れたアンサンブルになりやすいからである。したがって、フェルマータを延長としてとらえる場合は、せいぜい心理的な「休息」のみにとどめ、歌う際の息継ぎとして扱うのが妥当であろうと言われている。
 ちなみに、戦後初期の名指揮者メンゲルヴェルグが録音した歴史的なマタイ受難曲があるが、この頃はまだロマン派の影響色濃い時代であり、コラールのフェルマータはほとんど伸ばした演奏となっている。好みの問題ではあるので、ガーディナー等の最近の演奏と一度聞き比べて見るのも面白いと思う。
 ただ、最近、当時コラールが演奏された教会という場所の音響(=残響)を考えた場合、ある程度音を延ばして、残響が消えるのを待たないと和音が濁ってしまうので、当時でも音を延ばす意味も有ったのではないかという意見も再び出てきている。

2.付点
 これは非常に議論の多い記号である。現代では付点が一つであれば前の音符の音価の半分を延ばし、二つ着いた複付点になれば、元の音符の半分+1/4=3/4を延ばすという意味を持っている。
 バロックの時代の付点はもっと曖昧な意味で、元の音符よりは長めに演奏せよという程度の意味で、数学的に厳密な意味をもっていなかったと言われている。また、当時は複付点という記譜法はなく、付点4分音符+8分音符で書かれている場合の後の8分音符は、作曲者は16分音符で演奏することを期待していたこともあるとされており、フランス風序曲はその典型的な例である。所詮は1/2か1/4かという不連続な2者択一の問題ではなく、音楽の流れの中でそれに近い最も相応しい音を演奏家自身が選ぶべき問題であると言われている。
 バロック音楽の楽譜では、付点4分音符に32分音符3つが書かれている例があるという。1/4+1/8+3×1/32=15/32となって、これは本来4分で2拍分、即ち、16/32にあたる長さのところに書かれているので、算数の答案なら×がつく書き方であるが、当時では普通の書き方だったといわれている。
 問題になるのが、一つのパートが3連符、他のパートが付点8分音符と16分音符で書かれている場合とか、一つのパートが付点4分音符+8分音符、他のパートが付点8分音符と16分音符の2回繰り返しで書かれている場合等である。今なら、絶好のコンクールのチェックポイントで、いかにリズムの違いを性格に演奏するかに聞き耳をたてる嫌味な審査員や聴衆もいるが、ものの本に拠れば、前者の3連符絡みの場合、テンポが速い場合にはどちらも3連符で演奏し、テンポが遅い場合には両者を区別して演奏するというのが当時の習慣だったとかかれている。

3.テンポ
 まず、この時代メトロノームはまだ発明されていない。従って作曲家がテンポを数字で示す手段は無かった。
 また、記譜法が定量記譜法と呼ばれる音符そのものが絶対的な時間の長さを示す書き方から、現代の記譜法に変わりつつある時代であり、テンポが非常に決めにくいといわれている。なお、蛇足であるが、定量記譜法というと今日では馴染みのない記譜法であるが、そもそも何故、音符は4分、8分等と、ある基準になるものを幾つかに分けるという意味の名前を与えられているか、4分の4拍子を何故“C”と書くのかなど、その由来は定量記譜法に発するものがあり、現代の記譜法にその名残が残っているのである。ちなみに“C”という拍子記号は元来は文字の“C”ではなく、○の半分であった。丸の半分とは不完全という意味で、すると完全は何かということになるが、今の3拍子で、○で記されたこともあった。
 さて、この時代でも対位法的な音楽には定量記譜法の考え方が適用できるという考え方もある。その場合、何がテンポの基準になるかというと、人間の脈拍であるという意見がある。
 しかし、結局は定説は無く、アーノンクールが唱えている一見当たり前とも思えることを考慮に入れて演奏者が決めることになるようである。
 即ち、アーノンクールは、
  1. 音楽的情緒(アフェクト)、特に歌詞が重要なポイント
  2. 拍子の種類
  3. その曲の中で使われている最も小さな音符が何であるか
  4. 強拍が1小節に幾つ含まれているか
といった四つの要因を考慮して適切なテンポを見出すべきだと述べている。

4.ピッチ
 昔のピッチは今より低かったといわれているがどれ位低かったのだろうか。
 海外でもバロックオーケストラで活躍しているチェリストの鈴木秀美氏によれば、390Hzから480Hz位までほぼ短3度に相当する差が有ったとのことである。私のような技術者から見ればそもそもどのようにして周波数を測定したのかというのが興味のあるところである。現在であればかなり精度の良い音叉が廉価で入手できるが、バロックの時代ではそう簡単な話ではなかったと思われる。比較的簡単なのは笛やオルガンのパイプの長さを測ることだったのではないかと思うが、実際どのようにしていたのか不勉強で報告する知識を持ち合わせていない。
 バロック時代のピッチに関して特記したいのは、一度作ってしまうと一寸やそっとでピッチが変えられないオルガンが、むしろ高い目のピッチで調整されていたものが多いことである。440Hzから言えば半音程度高いものが多く、当時の他の楽器とは1音程の違いが有ることになり、合奏の場合、オルガンの楽譜はあらかじめ1音低い調で書かれたことが多々有ったとのことである。
 最近のバロックオーケストラでは、現代の標準になっている440Hzより半音程度低い415Hzあたりがよく用いられているようである。

5.合唱団
 当時も色々な合唱団があったであろうから一概に論じることはできないが、前にも書いたようにバッハが関与していていた教会関係の合唱団では、その数は10数名から多くても20名くらいまでだった。バッハが関係したのはすべて教会に関係する合唱団であるが、必ずしも音楽的に優れた者が集まっていたわけではなく、むしろあまりレベルの高くないメンバーで、必要な曲数をこなすのに苦労しているとの手紙が何通か残っている。
 また、当時の教会の合唱団は混声合唱団であるが男性合唱団であった。というより、中性と男性の混声合唱団というのが適当かもしれない。ようするに今で言う女声部は変声期前の男子によって歌われていたのである。ただ、今に比べると変声期を迎えるの年齢は高く10代半ばだったようである。この変声期の差についてモンテヴェルディ−合唱団を率いているガーディナーは自身がロ短調ミサ曲を録音する際に面白い工夫をしている。即ち、現代の少年合唱団を用いると平均年齢がバッハの時代より大分低くなるために人間的に経験が少なく、十分な表現力が期待できないとして、大人のソプラノ、アルトのうち、声の軽いメンバーを選抜しているのである。
 大人になっても高音が出せるように去勢したカストラートが活躍していたことをご存じの方も多いだろうが、だからといって女性の歌手がいなかったわけではなく、現にバッハの2番目の奥さんのアンナ・マグダレーナもソプラノ歌手で活躍しているのである。

6.当時の楽器
 バッハの音楽では今はほとんど使われていないような楽器が時々登場するし、場合によっては指定されている楽器がどのようなものか未だに謎に包まれているものもある。また、バッハ自身新たな楽器を取り入れるのに積極的で、中には自ら考案して作らせた楽器もある。すべてを書こうと思うととても手におえないので気が向いたものだけ書いてみる。
 弦楽器では、ヴィオール属とヴァイオリン属が共存していた。
 ヴィオール属の方が歴史は古く、それぞれの弦は3〜4度の音程で調弦されていた。これに属するものとしては、チェロと同じくらいの大きさのヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴァイオリンやヴィオラと同程度の大きさのヴィオラ・ダ・ブラッチョ、ヴィオラ・ピッコロ、ヴィオラ・ダ・モーレ、コントラバスと同じように大きなヴィオローネなどがあった。ヴィオール属とヴァイオリン属の構造的な差は、ヴィオール属が弦が6〜7本あり、また、音程の目印となるフレットがあることなどがあげられている。17世紀にはヴァイオリン属がヴィオール属を凌駕するようにはなるが、バッハの曲ではヴィオール属の楽器が活躍するものも多い。
 ヴィオラ・ダ・モーレは、弓で実際に弾く弦が7本、共鳴用の弦が7本あるという複雑な構造の楽器であるが、それゆえに独特の音色であり、ヨハネ受難曲などで用いられている。また、ヴィオラ・ダ・ガンバは6〜7弦の楽器で、特にマタイ、ヨハネの両受難曲でハイライト的場面といえそうなアリアの伴奏で登場している他、通奏低音とのソナタも残されている。
 ヴァイオリン属も現代ほど整理されておらず、ヴィオラ・ポンポーザという現在ではどのような楽器か特定できない楽器やヴィオリーノ・ピッコロ、チェロ・ピッコロ等という楽器が指定されている。後の2種類の楽器もどのような楽器か学説の一致は見ていないようである。また、有名な無伴奏チェロ組曲の第6番は弦が5本有る楽器でないとすべての音符の演奏は不可能だそうで、これもどのような楽器を想定して作曲したのか説が分かれている。
 当時の弦楽器が現代のものと大きく違っている点は、弓が毛の部分が固く毛の部分は薄くて張力が小さいこと、弦が羊の腸を用いたガットが用いられていたことであろう。さらに、ヴァイオリンも現在のもののようなあご当てがなかったということも構造上のおおきなさである。このことが音色、奏法にどのような影響を与えたかはその道の専門家に譲りたい。
 なお、バッハは弦楽器も得意であったが特に両側の音が聞けることからヴィオラを演奏することを好んだといわれている。
 また、弾く系統の弦楽器として、現代のギターに似たリュートが広く用いられており、バッハにもリュートの作品が少しある。しかし、この楽器も弦の数が12本有って、そのうちの6本がギターと同じように実際に弾く弦、他の6本が共鳴弦となっている。
 管楽器でいうとまずフルートが今とかなり違っている。他の機会でも書いたが、バッハが「フルート」と記している場合は縦型の今でいうブロックフレーテを意味し、その中でも今アルトリコーダと呼ばれている最低音が1点への楽器である。フルートトラヴェルソと記されているのが横型の笛で今のフルートの原形であるが材料は木、時には象牙で、現代の金属楽器のようなキーは無く、穴を自分の指で抑えるタイプである。材料の違いで音色がずいぶん違い、フルートトラヴェルソの方が弦楽器とよく溶け合う。フルートが大活躍する「管弦楽組曲第2番」や「ブランデンブルグ協奏曲第5番」で聞き比べるとよく判るが、現代の金属製の楽器を用いた演奏では、フルートとオーケストラの対比が明確で、古典派以降の協奏曲のように聞こえるのに対し、木製フルートを用いた演奏では独奏楽器とオーケストラが程よく溶け合って聞こえるのである。
 ところで、ロ短調ミサ曲はあまり馴染みの無い楽器は指定されていない。現代ではあまり馴染みが無い楽器としては、フルートトラヴェルソ、オーボエ・ダモーレ、コルノ・ダ・カッチャくらいであろうか。

7.指揮法
 この時代、オーケストラ、合唱ともに人数が少なかったので当然今の指揮者と団員との関係とは異なっていたようである。
 バッハその人が指揮をしている様子というのは絵に残されているものないようだが、当時の練習中の風景という絵は残されており、カンタータの練習風景とされているものをみるとチェンバロの周りに10人強のメンバーが集まって歌いまた楽器を演奏している。では指揮者はというとあらたまって指揮台に立っているという風情ではなく、楽譜を筒のように丸めてそれで拍子をとっているように描かれている。
 また、同時代の話として残されているのは、指揮者はステッキ状のもので床を叩いて拍子をとったということである。フランスの作曲家リュリは、このようにして指揮をとっていて誤って自分の足を叩き、その傷がもとで死亡したといわれている。
(Bass 百々 隆)
参考文献
  1. 「バッハ(「知の再発見」双書58)」 ポール・デュ=ブーシェ著、創元社、1996
  2. 「バッハ−伝承の謎を追う」 小林義武著、春秋社、1995
  3. 「『古楽器』よ、さらば」 鈴木秀美著、音楽の友社、2000
  4. 「古楽とはなにか」 ニコラウス・アーノンクール著、音楽の友社、1997
  5. 「ガーディナー指揮『ロ短調ミサ曲』CD解説書」

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